2022年

2022年が始まりました。

さっきまで紙の日記帳に振り返りを書いてた。

だからここには何を書こうかな…

 

去年の今頃は何してたんだろうって

振り返ってみたら

食べるということ

何を口にするのかということに

興味を持ち始めてたみたい

 

言葉は思考を作るというけれど

食べること食べたものも

思考を作っているような気がする

それらは思うよりずっと

自分を左右していることがわかった

 

だけどその時に感じた。

自分を望む場所に導くために

その前段階の何かを取捨選択することの

難しさ

 

 

そういう瞬間に直面する事の

すごく多かった2021年

 

その場凌ぎの行動を無数にして

自分の決めたことをことごとく守らずに

投げやりになったことも本当にたくさんあった

 

それらが今の自分を作ってる

 

じゃあ、

今の状況は相当ひどいんじゃないか?

 

確かにそうかもしれない。

そう思う部分も無数にある。

だけど辛うじて踏みとどまっている部分

新しい、ハッとするような場所に当たる

日差しの眩しさをも感じる時があった。

 

それは多分、

あらゆる瞬間に

その決定とその後の道のりに

寄り添ってくれるたくさんの大切な人

そして新しい人達がいたからだと思う。

同時に去っていったものが残してくれた

かけらが

いくつもポケットにあったからだと思う。

 

手放すこと

自分の信念や目標、習慣、決意

そういった

踏み外すことを恐れていたもの

それ以外は失敗だと思っていたもの

 

執着

 

それから手放して

落っこちることも学びの一つとしてあった。

 

そこは失敗とは少し違った

 

ただ、土があって

それ以外はまだ名前がなかった。

 

もう一度耕して種を植える事も学んだ。

 

そして待つこと、

 

何もしない時間

 

何もしない自分

 

何もない自分

 

それを土に横たわってじっと感じることへの

恐怖から

実際にその土の冷たさと匂いとその時に見た

空の言い表せない複雑さ

 

だけど

全部

そこからまたのそのそと起き上がって

眠るために戻っていく家を与えてくれた

たくさんのものたちの温かみ

 

生きていくのは

こうあるべきだとは言えない

 

でも、こうありたいと目を凝らさないと

自分みたいに弱い人間は

どっちが前か分からなくなって

歩くことすらできないのは確か。

 

 

自由と、名前のつけられないひとつひとつ

 

それを教えてくれた1年だった。

 

2022年

どうしたいかな?

 

きっとまた初めの頃のアドレナリンで

あれやこれや計画と目標を立てるんだと思う。

 

でもその時、

その時をもっと目を凝らしてみてみたい

 

何が起こっているか、どんな匂いか、

どんな感情か

 

 

誰が隣にいるか。

 

 

 

そうしよう

 

うん、

そうしなくても

今日はいい日だと思えるように。

 

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