4月

昨日母と2人で愛知県安城市にある

デンパーク、というところに行った。

 

花と植物のテーマパークというのかな?

季節によって植えられてる緑が変化するから

定期的に行きたくなる場所。

 

着いて早々、広場みたいなところに

人だかりがあった。

 

近づいてみると

どこかの絵画教室のグループがデンパーク内で

水彩のスケッチを行なっていたようで

講師を囲んで講評を聞いていた。

 

私は生徒ではないけれど

こそっと混ざって隅に立った

 

そのグループは年齢層50代から80代までのよう

これまでもっと下の年齢層の方の作品は

見た事があるけれど

この日見た作品たちには

なんだか滲み出る価値観や人生が

重みをもってそこにあって

すごく胸がじんわりとした

 

手の癖…?というのか、

切り取り方や塗り方にそれぞれ

長い時間をかけてつくりあげた言語があった。

こんなふうに絵は話すのだと思った

 

本当の意味で

絵は事物を捉えるのではなくて

自分の心をよみ

自分の時間を辿り

音のない話をする

それは世界の間にあって

白い隙間には自由に風が吹き

会話を始めようと待っているんだと思った

 

一枚一枚が

私の話はね、と

立ち止まる人を待ってるみたいで

こんなふうに

年齢を重ねた後に

私も絵を描いていたいと思った 

 

既存の

言葉を話すのは難しい

言葉は間違えやすい

 

なのにここ数ヶ月ずっとそれに挑んでは

負けたような気がして

転び続けてきた

 

それは少しでいい

今は

もしかしたら

 

 

だから

私もやっぱり絵を描いていたいと思った

ことばをつくるために

 

デンパーク来てよかったなあ

素敵な出会いと一緒に行ってくれた母に感謝