整える

 

ようやく一息ついたので、

今はのんびり机に向かっています。

 

今日はとても冷え込む1日で

仕事は休みだったけど

外で土をいじったりする気もあまり起こらず

何しようかなって考えてた。

 

読みたい本、読みかけの本、

読み返したい本をかき集めて

今日お供にする一冊をまずは決める。

 

桝野先生の「禅と食」。

すごく心が穏やかになると同時に

背筋が伸びるような

もっと静かに物事や自分自身と向き合いたい

そう強く思える大事な支えとなっている本です。

 

食事は生活のサイクルの中に

当たり前のように組み込まれていて

なんというか

ルーティン化してその姿が本来の意味や

目的からかけ離れて

漠然としていることが多くなっていると思う。

 

立ち止まり、自分の心と

これから心の一部となるものを

目を開いて見ること。

 

これらは繰り返しではなく

ただのルーティンや娯楽ではなく

とても特別な事だと再認識する。

 

その時多分はっとする。

全部の事が、自分を取り巻くあらゆる事が

特別であると。

 

ならば一つ一つに対してどう振る舞い

生きるのか。

 

突然、

今この瞬間がとてもかけがえなく思え始めて

頭の奥がジーンとするのを感じる。

 

読むたびにその感覚を思い出させてくれる。

 

ここに書いてあることが、

本当の意味で自分のものになるまで  

まだまだかかるけれど

何度も実践して腑に落としていこうと

とても前向きに思っている。

 

そんなあたたかい気持ちを頂きながら

素敵な休日が始まったな、と本を閉じ

あと少しで完成する3冊目の本に

取り掛かりました。

 

今は漫画のページを描いています。

2020年からジリジリと進めていたもので

日常が大きく変わっていく中で

部屋に篭りながら

日々感じたり考えたりしたことを物語の形にしたような…

この一年の間に、自分の生活や感情

考えがすごく大きく変化したのに伴って

絵に対する向き合い方、何かをアウトプット

する意味について思うことも

変わったように思います。

 

最近読んだ絵画の本にはどれも

毎日少しでも必ず描きなさいと書いてあった。

目的によってはそれは間違いなく正しいことだと思う。

 

絵は多分自分にとって言葉の一つだから

別の言葉がそこにある時

それを表現しなくても、そばに寄り添って

受け取ってくれる人がいる時

絵は描いていなかったように思う。

 

描くことはかけがえのない宝物なのは確か。

でも、

切り離された、粉々になりかけた日常の中で

もう一度細部に目を凝らし始めた時

そのささやかな一つ一つの驚くべき光を

見つけ始めた時

両手がいっぱいで描かなかった時があった。

幸福についてあらゆることを考えた。

 

そう、それで今

また描いています。

たくさん受け取ったこと、

人や、全ての命、生活、行動、環境、本や映画

とても得難いものばかりで

それを何か自分の中でちゃんと消化して

形にする作業をしたいと

心から思ったから。

 

毎日思う

もう少し上手く出来たらと。

これはとても心地が良い感覚です。

 

歯痒いけれど、

また明日が待ち遠しいと思えるからです。

 

なぜ描くのか

それも日々変わっていくのだと知った。

 

でも言葉を伝えたいと今後も思うのなら

絵はきっとずっとそばにあるのかな。

 

そうだったらいいな。

 

 

ここで一旦手を止めて、

夜ご飯を作ります。

 

今日は、

どうしてもチリビーンズが作りたかったので

朝からずっと乾燥豆を水に浸けていたんです。

 

ローリエの葉っぱを一枚叩いて

塩とオリーブオイルでゆっくり豆を茹でているときの匂いが好き。

 

どこか遠い国のキッチンにいるみたいに思える。

 

 

目を閉じて

心を整え

想像する

今このひとときを