朝ごはん

とても久しぶりにブログを開きました。

今日は少しだけ日記。

 

朝、いつもはヨーグルトとか

冷蔵庫にあるものを

適当に食べることが多いけど

今朝は卵かけご飯と納豆、それから

最近個人的にブームのもずく酢を食べた。

 

そしたらなんだかとても

心がゆっくり落ち着いているのを

それが今も持続しているのを感じて驚いてる。

きっと私にとって

ぴったりのものたちだったんだね。

 

ぴったりのものって難しい

でも栄養素とか今現時点の健康状態とか

そういうのから見たらわかる事なのかもしれない…

 

考え出したら長くなりそうだから

とにかく

この瞬間に感謝して

一思いに書いてしまおう。

 

この頃眠れないことが

前より多くなってきていて

一、二時間だけじゃ片付かなかった

頭の中が

前よりもごちゃごちゃになってきている

 

でも、それなりに日々

ありがたいことにこなすことが出来て

今日まで歩けてる。

全部完全に足りているのに

足りていないと思ってる。

何をもってしてそれを

誰が評価するのかも分からないけれど

漠然とした感覚

その感覚、

ふと芽生えて明日には忘れてしまう感覚に

多分立ち止まることが

できていないように思えるからだと思う。

 

方法はいくらでもあるけど、

あえてそっちの方は見ないようにして

自分の、

自己肯定感のエネルギーを

空っぽにしていくのを選んでる。

 

だけど今日、

朝ご飯のひと時、

その時に選んで食べたものだけで

深呼吸ができて立ち止まるエネルギーを

得られたように感じた。

とっても単純だ。

眠るのは難しくても。

 

明日もそうであったら嬉しいけどなあ…

 

 

この間、離島に行った。

その時、周りには

みた事のないものばかりが散りばめられていて

感じたことのない気持ちが

後から後から湧き上がってきた。

だけど、歩けば歩くほど

何かを目にすればするほど

そこから何かを考えれば考えるほど

時間が過ぎる速さに焦りを感じた。

 

本当はこの今は気づかない細部に

もっと深い所の届かない所に

何かあるかもしれないというのに

 

今浅瀬で目指しているのは

今日という日の終わり

この旅行の終わり

終わり

 

全部の行動や景色には終わりがあって

体験をこなしていくような

終わりに向かって進めていくような

 

昼の星のように

そこにあるのに見えないものの下を

ただ能天気に歩いているような

 

当たり前のことにはっとさせられて

苦しくもあった。

 

自分を日々動かしていくことは目まぐるしくて

積み重ねれば重ねるほど

息継ぎのタイミングを見失ってしまう

 

立ち止まりたかったことに

どれほど

立ち止まってこられなかったかに気づく

それでも今この瞬間にも

終わりのある方向に

すべての体験を進めなくちゃいけない

 

時間の外側に出られたら良いのに。

そんなふうに思った。

 

でも

今朝ご飯を食べて一息つけたときに

それらを許して

心の音だけを頼りに

それをペースメイカーとして

体験を辿り直せることに気づけた気がする。

 

だから今

ゆっくりのそのリズムの中で

蜘蛛の巣みたいに

自分勝手な方向を示す記憶と想像に

向き合うことができている気がする。

抜け落ちてしまったものや、

壊れてしまったものはそのままでいい。

 

とても単純なつくりだと思う。私は。

 

今日はもう少しだけここにある時間の中で

生きられるような気がする。

 

朝ご飯

これもそのひとつだったのかもしれない

そこかしこにある

単純で複雑な

すべての

偉大なものたち

昼の星たちに出会った日記

 

 

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