ごみ箱

 

分からないのは

疑問に思うのは

もしかしたら無知だからかも知れなくて

もしかしなくても多分そうだから

何かに反発したりするのは

ものすごく不安を伴うと思う。

 

掘り下げたら

それは正しくて

はっとさせられてしまうのかもしれない

だったら

抵抗や批判から始めるのは

後で取り返しがつかない気がして

結局頭の中で沢山話して

完結しておしまい。

 

何かを

言葉で、

自分の有り合わせの言葉で

ほんの少ししか持ち合わせのない言葉で

こういうもんだって区切ったら

それを外に、

誰かに投げかけたら

多分それは残るんだ。

 

後から塗り足そうなんてもんなら

自己嫌悪しかしない。

 

だけど

分からないな。

 

ずっと考えてるんだ。

 

頭の中でそれについて話すのは

もう無駄な気がした。

 

 

 

なんで信仰が違うと

オーブンを使っちゃいけないのか。

 

分かんない。

 

律することは

あらゆる制限は人間を高めるものなのかもしれない。

だけど今のところ

ある制限には

実証されそうな効果を感じられないんだ。

ぶつけられた人間のちょっとしたショックくらいしか。

 

 

信仰は

自分自身をより良い人間に

自分を誰かを大切にできる人間にするために

あるんだと思ってた

 

だけどなんで

心や世界を分けるんだろう。

 

自分にあらゆる制限をかけ

律することは間違いではないと思う

 

だけどそれが信仰に基づくものであれば

別の信仰を持つ誰かにそれを

強いたりするんじゃなくて

丸ごとその誰かを

受け入れたりはできないのかな

それくらいしたって揺るがないような

思いやることのできるようになるための

そういうものが信仰ならいいのに。

 

信仰に基づいて

オーブンを使わせられないのも

その人が愛する人を認められないのも

 

取るに足らない

ただのルールなのかもしれない

 

だけどそれは

別の場所では膨らんで破綻して

釘の詰まった爆弾みたいに

誰かを傷だらけにしてるように感じる

 

分からない

 

でも誰か 専門家みたいな

なにかの神様みたいな人がでてきて

そんなのは仕方ない

理由があるんだそういうもんだって。

そう教えてほしい

 

無知が喚いてるのを静かにできるように

 

 

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