チャールズさんのアルバム

チャールズは米海軍で、二等兵曹だった。

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アルバム最初のページに綴じてある

階級証明書にそう書いてあった。

 

骨董屋さんで売られていた

彼の分厚いアルバムには

1944-1979年(一部は1910-1943)までに撮られた

200枚ほどの写真や新聞の切り抜き、ポストカードやチラシが纏められています。

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台紙があんまりにも古く、

一部の取れかかった写真は色褪せてきていて

消えてしまう可能性があったこと、

年功序列になっていなかったことなどから

スキャンして綴じ直すことにしました。

写真の表や特に裏面には

キャプションが沢山書かれていた。

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多分誰かの人生のほんの一部も、

本当の意味で分かることが

出来るわけないのだけれど

彼について書かれていたいくつかのこと。

 

1940年代当時、

大学生だったチャールズさんは

海軍へ入隊。

(彼の大学はアイビーリーグの名門校で

真珠湾攻撃後、学校を挙げて主に海軍の養成を支援していました。学校全体がそういう雰囲気で志願者も殺到していた中、戦争へ行かないことを選べた人はどれほどいたのだろう…?

ストーナー」という本に、同じような状況で

入隊拒否の選択をした主人公が描かれていたけど、疎外感や周りからの厳しい声は逃れられなかったと書いてあったのを思い出します。)

 

第二次世界大戦では

D-デイと、パリ解放を経験して

(数枚の写真の裏は故郷への手紙になっていて、壊れた船とクルー達が写った一枚には「作戦前日、僕たちは空からの攻撃に対して全くもって不注意だったんだ…」など、当時の気持ちが書かれているものがありました。)

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終戦後、帰国して結婚

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当時の戦友達とのちに再会。

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1950年代は朝鮮戦争に出兵し

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(この時期に何枚か日本で撮られたものがあって

日本の基地を経由していたのかな…?)

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退役した1960年以降は家族との暮らしを送っている。

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1968年にはベトナム戦争へ行く息子の写真。

 

こうやって文字にすると

アメリカという国はいつも何処かの戦場へ

国民を送り出しているんだなと思う。

 

それで

今この瞬間もだけど

どこかで戦争が続いていること

 

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写真に写っている彼の表情は

とても穏やかで

優しそうな気弱そうな印象も受けました。

ライフルを抱えた写真が不思議にも思えた。

 

200枚の半分以上は家族との日常です。

パーティや同窓会、旅行やフェスティバル…

子供達より愛犬達の写真が圧倒的に多く

(50枚以上…!)熱心なキャプションの書きようと、見切れていてもピンボケでも気にしない

まるで息をするように写真を撮ったんだなあと微笑ましくなるような犬好きの一面。

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奥さんとの写真はいつも幸せいっぱいで

あちこちを二人で旅したことが伺えました。

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最後の一枚は

年老いた夫婦がリフトに乗っている写真。

見下ろすと

街が小さく広がっているのが見える

二人は穏やかな笑顔で。

 

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戦争も生活もすべて

ある一人の人の

人生のただの一ページ

 

その時

その時代がそうだったから

 

自分で選んだことも

選べなかったことも。

 

大した理由があったり、

ない事だってある。

 

ただ

そうしたんだ。

 

生きただけ。

 

彼の写真を見ながらそんなことを考えていた。

 

普通の人生の一ページ

どのページも誰のページも等しく同じ分厚さ

 

それでも

知らなかった誰かの人生に触れるのは

どうしてこんなにも心が動くんだ?

 

当たり前だけど

多分自分の人生しか生きられないからだと思う

 

その外側には無数に誰かの人生があるのに

それを生きることや見ることは出来ないし

その時の心を同じように感じることは出来ないからだ。

 

どれ程 複雑な道であっても

そこを通ってきた人がいて

 

だけど ほとんどの記憶は

抱えたまま あえて誰かに見せたりしない。

そういうものなんだと思う。

その人が去った時

その記憶も一緒に消える

多分 この瞬間も膨大に。

 

今ここに

自分が立っている事実を成立させているのは

全ての人生が無数に織り込まれた果てにあるのに

なんで知ることができないんだろう?

 

 

 

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個人のアルバムが、蚤の市とか骨董屋さんで

売られたり、廃品回収で出されてたりすると

なんとなくちょっと切なくなる。

チャールズさんのアルバムの

幸せそうな一枚一枚を見ていると、かけがえのない瞬間の集まりがこの一冊のはずなのに

それでもいらなくなった事実。

 

 

先日両親と離れの小屋を掃除してて、父の幼少期のアルバムが出て来たとき、僕は大はしゃぎだったんだけど

本人は「要らないから。捨ててよ。」(もちろんこっそり部屋に持って帰った)ってばっさり。

理由は

「形としてなくても、必要なことは覚えているし、覚えていなくても身体が経験した事実は消えたりしない。それに、今の方が必要だから」

だって。

父らしい言葉です。

(でも捨てるのはやっぱり悲しいよ…) 

 

 

読むことのできない

一人しか知らない言葉で書かれた本は

一番下の棚から

一番上の棚まで積み上げられている

そこにはすべての事があって

きっと全部揃ってる

 

 

誰かの人生と思い出っていうものがなにか

自分の人生より気になってる僕はちょっと問題だけど

多分これからも探してしまうんだろうな。