「永遠のソール・ライター」写真展へ行きました。
これまでは
一目見ただけで彼が撮ったと分かるカラー写真のイメージが強かった。独特な構図と色彩、画面の片隅で、ふとした場面で起こりつづけている物語。
でも、今回の展示ですごく興味を持った。
恋人のソームズを撮っているモノクロ写真、
二十代で精神の病を患い、生涯病棟で過ごしたソールの一番の理解者でもあった妹デボラを撮った写真を見て。
ソームズの写真だけを展示した一角があって、その一枚一枚の視線や切り取り方を見ていると
それを撮っているある人がぼんやりと透けて浮かび上がってくる気がした。
その姿は写真家ソールライター、というよりただソームズを好きな人、に思えて突然胸を打たれてしまった。
写真を撮る、という動作にはいくつもの意味があるのかな?第三者を魅せるためのものと、大切なもの、愛しいものを残しておきたいと思う自身の心のためのもの…
展示場の壁に書いてあった
「芸術は忘却と再評価の繰り返し。」というような彼の言葉。そこに込められている思いは切なさ寂しさ、そしてもっと重いものを感じる。
でも、
恋人のソームズは絵を描く人だった。
彼女が亡くなった後、ソールは
「ソームズの絵を今でも新鮮な気持ちで飽きることなく眺めている」とも言っていたのがすごく考えさせられた。
それは忘却とも、再評価とも違う。
永遠の。
芸術とはなんなのだろう…
第三者が、見ず知らずの人が評価し消費していくもの、あるいは…。
誰にも見せなかった膨大なカラースライドフィルム、ひっそりと2人で暮らしていた静かな家。
生みだされ続けた2つの姿をした写真たち。
イメージの中には何が残されているのだろう?
意味をつけるのは、後から何かを見出すのは独りよがりだということを忘れたくない…
そこには確かにそれをつくったひとの心があってそれは確かにその人と大事な人だけが知っているということ。
何も知らない人間が、勝手な想像を膨らませながら思いを馳せていただけの感想ですが
でも、すごく忘れ難い写真展でした。
(撮影許可スペースから。左上の方の絵はソームズが描いたもの、右の方のものがソールが描いたものだそうです。)