英雄のいない

デイヴィッド・ダグラス・ダンカン さんという写真家。

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彼の「War Without Heros」という

1970年に出版された写真集を買った。

ベトナム戦争を撮ったもの。

主にコンティエンを巡っての戦い、

ケサンの戦いでの米海兵隊員を追っています。

 

この本に惹かれたのは題名、英雄なき戦争。

ダンカンさんは報道カメラマンであり、

僕の勝手なイメージだと

報道カメラは自らの思想や立場、

意思を明確に写真に込めることはしないと思ってた。

ただありのままを、

そこで起こっていることを撮るのだと。

だけどこの本は題名を見れば明らかに違うと分かる。

1968年に彼が出版した、同じベトナム戦争を撮った

「I Protest!(私は抗議する!)」という写真集もそう。

彼は自らの考えと意思のもと、

写真を撮ったのだと感じた。

当時数々の隠蔽と暗い思惑と、

遅すぎる対応でベトナムアメリカ双方の命を無数に消費していた米政府への明確な抗議の本だと思った。

そういう写真家の自我が

はっきりと見える報道写真集は

あまり知らなかったから思わず手にとった。

 

ページをめくっていくうちに

彼の言葉が聞こえるようだった。

そこに写るのは

極限の疲労と恐怖と悲しみにある兵士たち。

そしていくつもの傷と死。

彼はそこにヒーローはいないと知っている。

ただの若者たちが想像を絶する苦しみを味わい、

そして死んでいくのだと知っている。

なのに延々とこの戦争を続かせている体制。

ケサンでは200人以上の死者を出しながらも、

対峙していた北ベトナム軍からの包囲から抜け出すことができた。

しかしその後 死守していたはずのケサン基地を

放棄するという決定が下された。

(無数の人命を失いながら奪ったり、

守ったはずの陣地をその後すぐに放棄するというケースは当時ものすごく多かった)

矛盾や、人命の浪費、疑問を覚えるような戦闘の数々。

最前線にいたものだけが知る真実を、

自国に突きつけようとした彼の意思。

フォトジャーナリズムと

一人の人間としての声と心の交わりがあった。

 

また、印象的だったのは

写真に写る兵士たちのありのままの表情。

まるでカメラなどそこにはないかのような。

怒りや悲しみ、退屈やささやかな喜び小さな感情がそのまま切り取られているように思った。

ダンカンさん自身、元海兵隊員だったことで

彼は距離感の取り方、コミュニケーションの方法

自分の立ち位置を理解していたからなのかなとも思う。

そして昔の仲間たちに対する深い思いがあったからかもしれない。

 

 

彼はこの本の出版で得た印税を、海兵隊員遺族の奨学金に寄付しています。

 

ニッコールレンズに光を当て、第二次世界大戦朝鮮戦争ベトナム戦争を撮り、時としてLIFE誌の表紙を飾った報道写真家。

ピカソのプライベートに唯一近づくことができた写真家。

そして今年の6月、102歳の人生を終えたひと。

もっと早くに出会いたかった。

 

真っ白のページに彼の直筆サインがあった。

裏をみるとインクが滲んでるのが分かった。

とうの昔に乾いてしまったそれを触ってみる。

 

1世紀に渡って世界を見ていた人

彼は自分の目を持っていて

その目で見たことを

その心で感じた事を伝えることができた。

 

そんな人が触れた本だと思うと

分からないけどすごく胸がぎゅっとなる。

 

人と、フォトジャーナリズムについてもう一度考えさせられるそんな本でした。

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