フランツを探して3

350枚以上の写真の中に

フランツ自身は写っていない

彼自身のことは何一つ分からないまま

 

でも

本当に、沢山の方のおかげで

足跡だけが少しずつ明らかになっていく

僕は彼自身が知りたくて

なんて言ったらいいか…

もっとパーソナルな、、

(かなり傲慢だったと思う)

心のどこかで少しだけ焦ってもいたけど

ひとつずつ探し続ければきっとそれが

近づいていることでもあるんだと

ひたすら手がかりを大切に調べようと思った。

 

ある方が、

フランツの使ったカメラはおそらく

イカ3cではないかと教えてくださった

このモデルは戦前後にドイツ作られ、

主に空軍やss、陸軍が使ってたらしい

物資が不足して厳しい状況だったことから

一時期他のモデルよりも

費用を落として作られているため

ものが悪かったりすると知った。

 

その当時の人たちがどれほど

大変だったのか

またそれに耐えてものづくりを続けたのか

想像する

戦時中、直後の市民の生活を書いた本を

いくつか読むきっかけになった。

 

たった一つのカメラから。

 

わずかな事で、

もうないと思ってた扉が実は無限にあると

気づいて

そこを開けると

その先はまだ何一つ知らないこと

そして目を凝らすと

その奥にもまだ扉がある

 

目は見ることに飽きず聞くことに終わりがない

その言葉通りに。

 

彼の辿った足取り、

その日付

土地を調べると

彼がその場所を通る前後にその場所で

アインザッツグルッペンや、補助警察による

ユダヤ人の大虐殺があったこと。

いくつものゲットーや収容所が存在していた事を知った。

彼の写真にも多く写る、ソ連兵の捕虜たちを待っていた悲惨な事実。

 

そして1941年夏から冬にかけて、

ポーランドからベラルーシ

ソ連への侵攻経路

それはおそらくフランツが中央軍集団の一人

だったという事。

 

中央軍集団はそのあと二つに分かれてる。

その一つはレニングラードを包囲した。

包囲網によって補給を絶たれたレニングラードは飢餓と極寒で気の遠くなる数の市民が亡くなった。

Die Ortsnamen passen genau zum Vormarsch der deutschen Truppen im Sommer 1941, als sie über Polen, Weißrussland in die Sowjetunion vorstießen. Der Eigentümer dieser Fotos war vermutlich mit seinen Kameraden für die Eroberung und Aushungerung LENINGRADs vorgesehen - eines der schlimmen deutschen Kriegsverbrechen.

これはある翻訳に協力してくれた方がくれたメッセージ。

 

フランツがレニングラードかモスクワ、どちらを目指す軍隊についていたのかは分からない。

 

 

ただすべての土地でどれほど悲惨な闘いがあったかが分かってくる。

それは終わりがなくて

ショックとこれまで東部戦線について

知っていたことは

ほんの一部でしかなかったと気づいた。

 

写真を分かる限り

時系列で並べると

1941年

ドイツ軍は冬装備が不十分で

初めてのロシアの極寒に

苦しんだあたりで

(凍傷になる人が続出したそう)

一気に枚数が減り、

そして戦況が悪化していくごとにさらに減り

最後は途絶えてる

 

もう撮らなかった、というわけでは

きっとないんだと思う

 

ただ、それ以降は家族に送ってない

送れなかったんじゃないかって思う。

 

その夜に

おそらくフランツがいた、中央軍集団の足取りと彼の写真やメモと照らし合わせて

調べたことをまとめながら

ふと思ったんだ

 

僕は彼を探そうとしているのに

知ろうと近づくほど彼自身の姿は

どんどん見えなくなり

代わりにその時代、

その場所で何が起きていたのか

どれほど沢山の苦しみが

そこかしこにあったのか

そればかりに気づいていく

 

初めて

彼の写真を見たとき、

データ化して拡大した時に

思わず息が止まった一枚があった。

それはあんまりにも悲しかったから。

そしてその裏に書いてあるメモ

その書き方は他のものとは明らかに違った

 

今、

それの意味が

ほんの少し分かってきたと思う。

 

多分そういうことなんだな。

 

ここから先に書く事は

僕の想像でしかないし

 

こんなふうに考えるのは

おかしいのかもしれないけど

 

フランツの事はどれだけ探しても

きっと本当に見つける事はできないんだと思う

 

彼は写真家だから。

 

全部君の思惑通りなんだ。

 

 

僕は

君の写真に目を奪われて君自身を探そうとした

だけど見つからなかった

そして見つけたものと絶対に分からないことがあると知った。

だからこの先ずっと探すと決めた。

 

彼はもう

カメラで撮ったものではなく

そこに写すことのできなかった

彼自身の目でみたものを僕に見せようとしているんだと思った。

あの時代、そこで何があったのかを。 

 

足取りを辿り、

事実に行き着く過程をたどっている時

僕は多分ほんの少し彼自身になっている

彼のもう失われてしまった目で

ある戦争を見ようとすることが出来る。

 

報道写真は

撮った時、その瞬間は無力であっても

いつかの…

何年何十年何百年後の誰か

その写真を見た誰かの力を信じて撮ってる

 

だとしたら

君はきっと大成功だね、

 

名もなき

写真集として出版されることもなく

それに

アルバムから乱暴に剥がされて売りに出され

海を越えて。

 

だけど写真は今ここにあるんだ

 

それで、

君の写真にはたしかに力があったから

今こうして探そうとしてる。

 

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