11日間

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リー・カーペンター

「11日間」

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これでもう終わりにし、

家に帰ると決めた最後の任務だった。だが

SEALs隊員である息子のジェイソンは

帰っては来なかった。

作戦行動中、行方不明となったのだ。

母親のサラは一人息子の安否を待った。

そして11日後、彼女が知った事実。

—————

胸が抉られてどうしようもなくなった。

300ぺージ

そんなに分厚い本ではなかったから、

すぐに読み終わってしまうと思っていたけど

行間まで埋め尽くされるような

母から息子、息子から母、不在の父親、

仲間たち、取り巻く人々や

国家という不確かで揺るぎない像

それらが相互に馳せる心に溺れそうで

簡単には読み進められなかった。

本当に、途方もなかった。

 


並んでランニングをし

27歳になってもママと呼ぶ、

サラの知っていた息子。

 

M4カービンを抱え

エミネムを口ずさみ、

司祭(プリースト)と呼ばれていた

サラの知らない息子。

 

その間に横たわる途方もない距離を

彼自身が一番知っていた。

ジェイソンは小さな舟を漕ぎ、

その隙間を一人きりで行き来した。

ハムレットキプリングユリシーズ

時には詩を地図の代わりにして。


自分をある地点まで引き上げることは、

自分自身を知る事と同時に

幼い頃に消えた父親を

感じられるものかもしれなかったから。

 

彼のいた場所のことを考えた。

そこには何があったのか

なぜ選んだのか

その場所が成せる作用とはなんだったのか。

そこはあらゆるものを極限が引き出して

見えなかった姿を発露させる。

多くのものが現れて彼はそれを携え

自分の中の手付かずだった

多くの土地を歩いた

そしてときに

その道は大切な人との土地へと続いた

 

にも関わらず自らが完成させたものを

完膚なきまでに叩き壊してしまう場所。

もしかしたら

初めからそれだけだったのかもしれない。

 

ジェイソンは気付き始める。

気づいていた。

未来の花火がちらつきだしているのを。

 

だけどそこから動けなかった

見ていなければいけなかった 

 

真っ暗な水中と

もう既に踏みにじられているかもしれない花の咲く

あの対岸から生まれ続け、

押し寄せてくるような愛を

ひとりきりで。

 

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作中にはキプリングのthe choice やシェイクスピアハムレットテニスンユリシーズなど多くの詩や曲が引用されていた。

そのほとんどは刺すような、ずきずきするような力を持ったものに感じた。

多分、これは兵士たちの話だったから。

 

でも読みながらずっと聞こえてたのは

誰かが小さく祈ってる 

二ーバーの祈りだと思った。

 

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いつもみたいに

いつもみたいに新聞切り抜きをして

いつもみたいに描きながら考えたりして

沢山のこと

すごく沢山のことがまだ無数に残ってる

なにから始めたらいいのか

どこまでやったらいいのか

迷ったり苛立ったりする 

あらゆること

押し寄せてくるような錯覚

動かないと始まらないし

終わらないことばかりなのに

へんだな

 

夜遅くにやってたドキュメンタリー

一瞬だけ映った

戦後日本に帰還した兵士

まだ多分十代の、

ぼろぼろのコートを着て

俯いて でも何か思いつめてるような顔で

路面電車から

小さなトランクを抱えて降りてくる姿

あれからしばらく経つのに

まだ目に焼き付いて離れない

 

8月15日

 

折り重なって

絡まり合って

ほとんど溶け合ってるみたいになって

何一つ鮮明ではない

言葉にするのは難しい方向に

今どこに立ってるのかな

 

 

 

 

オデッセイ

帰り道

道路が凍ってて

冷やされた空気が

暗闇の突き当たりに集まってた

その黒く凍りついた

ブラックホールみたいな空間

 

あの先にまだ二人はいるのだろうか  

 

あの人に電話をする

 

オーバーバイエルンの小さな村

何年振りか

騒がしい酒場の音

だけど

その人の声は丁寧に切り取られて

まるで違う惑星から届く手紙みたいに

 

彼はよく思い出せない

なにもかも覚えていたはずだったのに

 

言いたいことは

お互い随分前に分からなくなっていた

ただ一つ確かなのは

この距離は途方もなく広大だってこと

 

どうすれば目印の火になれたのか

二人は宇宙のどこからも見えない場所に

お互いに隠れて

それも忘れて

凍えながら

日が当たらないのを嘆いてる

 

どこから来てどこに行くのか

すべての声は語らない

音の前には何もなかった

 

彼は窓の外

地平線のずっと先 

その行き止まりに目を凝らす

 

想像できないから

そこには初めから誰もいなかった

反対側にいるはずの自分さえ

初めからいなかった

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2017.12.3

 

 

 

 

嬉しかったこと

さっきおじいちゃんが僕の部屋に来て、

 

部屋で横になってたり、

のんびりしてる時に

前にもらった絵をいつも眺めてるんだけど

他のも見たいなって思って。

いま描き終わってるものある?って聞いてくれた。

 

前に絵をプレゼントしたのは何ヶ月か前。

僕の家は二世帯で、おじいちゃんは一人きりで廊下を挟んで隣に住んでるんだけど

(自分のことは自分でやりたいし、気を遣いたくないからって)

90歳を過ぎてるから心配で毎日話したり、

声をかけたりはしてる。

 

絵は、そのきっかけづくりっていうか

おじいちゃんの部屋に入り浸るための(じゃなきゃ挨拶とか近況報告くらいになっちゃう…)

口実で無理やり渡しに行ってて、

その度に壁に貼ってあるのが増えてって

迷惑になっていたらとか、気を遣わせてたら

申し訳ないなって少し思ってた。

 

欲しいって言ってくれたのは初めてだった。

 

だからはりきって

描き溜めてる、行き場のないスケッチブックを

片っ端からプレゼントしに持っていった笑

 

誰かがこんなふうに自分の絵を見てくれるのって、というか

自分の好きな人が、そのひとときに絵をお供させてくれていたっていうのが。

うーん、なんか違う…絵がどうのこうのっていうより

あの瞬間の温かい気持ちと、それがやってくるまでの緩やかな流れに感謝したくなった。

 

うまく言えないけど

すごく嬉しかった。

 

もっと今よりずっと努力しよう。

 

Das schweigende Klassenzimmer

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(本編に触れている部分があるのでこれから観る予定の方は、読まない方がいいかもしれません💦)

 

 

 

 

列車は進んで、テオの顔に弱い光があたる

彼はほんの少し微笑んだ。

 

映画館の帰り道

みんなのことを考えてた

みんなのこれからのこと

 

密告、疑い、抑圧、小さな教室のなかは、当時の状況をそのまま縮図にしたような息苦しさがあった。

 

でも

彼らが乗ったのは本当に希望の列車だったのか。秤にかければそうだったのかもしれないが、待ち受けているものはいくつもあったはず。

(プロパガンダ、西ドイツの官僚の多くは元ナチスだったのも確か。)

ただ、その列車にすら乗れなかった

エドガーやエリックもいた

 

どうしてあんなにも世界は閉じていたんだろう? 

あの後さらに閉じて、ベルリンの壁となり、それは1989年までそこに立ちはだかっていた。

 

戦後という名の列車、

それが本当の自由に、本当の希望に、それが希望だと気づかないような当たり前の日常に向かって走り出すまで まだ途方もなく長いんだって考えてしまう。

 

勝者は敗者の持ち物を分ける、そんなふうにあらゆるものがいつも分断されてきた。強い力で。ある思想や主義を断ち切るためには必要なのかもしれない。

 

ただ、そこには過剰な統制や抑圧がありそれを受けなければいけない人々がいて、それは地図上のただの境界線ではなく、現実世界では切りつけられて塞がらない痛みが横たわっているんだと改めて感じる。

歴史のそっけない年表、そのどこかにクルトやテオ、レナ、パウル、エリック達がいた。そしてそこには 「静かな教室」があって、その後も彼らは生きたんだと、そう思った。

 

あの場所で、みんなが強い流れの中で考え、守ろうとしたものや信じようとしたもの、その結果失い、また得たものを忘れたくない。そして多数決だった意思決定が、最後には一人一人の決意で列車に乗り込んで行ったことも。

 

後の世界からしか、ある事実の良し悪しや解決策は分からない。でも、もしかしたら今でもそれは本当は分からないのかもしれない。

 

長い列車のどこかで何かを望み、それを目指して乗り込み、すれ違い、偶然隣りあい、そしてどこかで下車していった人たち

今自分はそのどの辺りに乗っているんだろう。

 

今この場所はどこで

そこでは何が起きていて

自分はどう感じ、どう考え、何をするのか

 


映画を観て、もう一度見つめてみたいと思えた。

 

 

きっとこの先も、ふと目を凝らし

昔この列車のどこかに乗っていた、みんなの事を探すんだろうな。

 

 

2度目の6/28

今日

僕の大事なももが

この世界から去って一年が経ちました。

 

あの子を通していろんなことを考えて

いろんなことが分からなくなった

 

去り際

僕は死ぬほど(死んだのはももだけど)

本当に死んじゃうんじゃないかってほど泣いてたんだけど

 

父はその度に

辛いのも、あらゆる思い出も、全てはエゴでしかなくて

執着を、自分本位な、人間本位な執着は

手放すべきだって言ってた

 

ももは

何処かで生まれて

誰かの家に連れてこられて

逃げ出したか、捨てられるかして

動物愛護センターに連れてこられて

ちょうどその時一軒家に引っ越したことで

念願の犬が飼えることになった

小学生の無知な僕が

彼女を見つけて連れて帰った

 

 

こう考えると

ももの人生は産まれる瞬間と

死ぬ瞬間以外は全て人間が支配していたと思う

 

全て人が道を決めて

 

彼女にとってもきっとそれが幸せだろうって

 

そう思ってきた

 

けど

本当はどうだったのかな

 

何かを 飼う  って一体なんなんだ?

 

分からない

 

ヒトってなんでなにかを  飼う  んだろう

 

あの時の僕は

何か弱いもの(そもそもなんで動物が自分よりも弱いと思っていたのかが怖い)をお世話したかった

犬や猫を飼ってる人を見てずっと羨ましかった

可愛くてそばにいて欲しいと思った

 

だからそうしたんだと思う

これってすごい考えで

すごいぶっとんでることだ

きっと人間しかできない

 

ももは僕たちの茶番に付き合ったのかな

 

分かんないや

 

父はそんなようなことを言ってた

 

でもそれがこの世界の法則で

抗えないんだって

 

だから

悲しみを乗り越えるために

それらが人間のエゴで

ただの事象でしかないってことを思い出すんだって

 

だけど君を思い出す時

あらゆる思い出が波みたいに押し寄せる時

それにのみこまれて

どうにもならなくなる時がある

 

家族になろうとしてくれた

というか

それ以外に方法はなかったんだろうけど

というより

僕たちが為す全ての、勝手につくったルールなんて

一つも知るよしが無いはずだから

与えられた場所でまた一から生きようとしてたこと

それがまるで

家族になろうとしてくれているみたいに

そう勝手にみていたんだな

 

動物は悲しい

けどそれを実行してる僕には

こんなこと言う資格はない

 

あの子は家族になった

自身がどう思っているかは分かるはずもないけど

僕たちはそう思った

それ以上になった

 

いっしょに眠ったこと

落ち込んでる時側にいてくれたように思えたこと

最後の瞬間の不思議な出来事

ありとあらゆる

 

 

全てはエゴなのに

 

君の優しさや

温かさ

心の繋がりだと思えた瞬間

 

そういう勝手なことばかり

やっぱり思い出してしまう

 

あれはもう二度と感じることのできない

特別な瞬間だった

 

思い出すたびに

どこかでまだ小さく打ち上がっている花火みたいに

頭の後ろで火花が飛び散るのを感じる

 

 

寂しいとか

もう一度会いたいとか

 

いろんなことを考えさせられすぎて

もううまく言えない

 

ただ猛烈に悲しい

 

それだけ

 

もも

 

 

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ごみ箱

 

分からないのは

疑問に思うのは

もしかしたら無知だからかも知れなくて

もしかしなくても多分そうだから

何かに反発したりするのは

ものすごく不安を伴うと思う。

 

掘り下げたら

それは正しくて

はっとさせられてしまうのかもしれない

だったら

抵抗や批判から始めるのは

後で取り返しがつかない気がして

結局頭の中で沢山話して

完結しておしまい。

 

何かを

言葉で、

自分の有り合わせの言葉で

ほんの少ししか持ち合わせのない言葉で

こういうもんだって区切ったら

それを外に、

誰かに投げかけたら

多分それは残るんだ。

 

後から塗り足そうなんてもんなら

自己嫌悪しかしない。

 

だけど

分からないな。

 

ずっと考えてるんだ。

 

頭の中でそれについて話すのは

もう無駄な気がした。

 

 

 

なんで信仰が違うと

オーブンを使っちゃいけないのか。

 

分かんない。

 

律することは

あらゆる制限は人間を高めるものなのかもしれない。

だけど今のところ

ある制限には

実証されそうな効果を感じられないんだ。

ぶつけられた人間のちょっとしたショックくらいしか。

 

 

信仰は

自分自身をより良い人間に

自分を誰かを大切にできる人間にするために

あるんだと思ってた

 

だけどなんで

心や世界を分けるんだろう。

 

自分にあらゆる制限をかけ

律することは間違いではないと思う

 

だけどそれが信仰に基づくものであれば

別の信仰を持つ誰かにそれを

強いたりするんじゃなくて

丸ごとその誰かを

受け入れたりはできないのかな

それくらいしたって揺るがないような

思いやることのできるようになるための

そういうものが信仰ならいいのに。

 

信仰に基づいて

オーブンを使わせられないのも

その人が愛する人を認められないのも

 

取るに足らない

ただのルールなのかもしれない

 

だけどそれは

別の場所では膨らんで破綻して

釘の詰まった爆弾みたいに

誰かを傷だらけにしてるように感じる

 

分からない

 

でも誰か 専門家みたいな

なにかの神様みたいな人がでてきて

そんなのは仕方ない

理由があるんだそういうもんだって。

そう教えてほしい

 

無知が喚いてるのを静かにできるように

 

 

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