Schön

湿原に行った時のなんでもない記録

 

 

 

そこは山奥で

あまり有名ではない小さな湿原。

 

入り口は灰色のフェンスにチェーンがかかってる。

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「自由に入り、帰りにはチェーンを元どおりにするように」

その通りにする。

 

 

弱い雨が降ったり止んだりしてる。

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空の色が減るほどに

花と草木の色が強く浮かび上がってくる。

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遠くの方まで木を組んで作られた道

誰もいない

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不思議な感じがする。

 

なんでか分からないけど

雰囲気があって

一体なんの雰囲気なのかも分からないけど

 

すごくいい感じだって思った。

 

雨が強くなってきたから

カッパをかぶってただ立ってた。

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雨粒が反射して急に緑が光り出したように見える。

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湿地にいた虫やカエルが一斉に鳴き出す。

 

 

僕は消えた。

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実際は消えてない。 

そもそもさっきから一歩も動いてない。

ただそんな感じがして

そうなったらいいのにって思った。

 

なんでか分からないけど。

 

でもいい感じだった。

 

 

そこで出会った木や

黒松の幹を覆ってる苔や

山藤や名前の知らない花

雨に濡れている蜘蛛の巣

 

綺麗で

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きれいだって思っていたんだけど

なんできれいだと思うのか同じくらい考えてて

 

多分その時の感情とか

必要でないもの

または価値観感性

他にもたくさん 

 

それを貼り付けて

貼り付けられた加工品を見ているからなのかなって思った。

 

でも、そう思ってから

そうじゃないといいなとも思った。

 

 

帰りは助手席で

ナビゲーション係をしながら

それについて少し話して

気づいたら眠ってた。

 

そういえば、

 

湿地を出る時

びしょ濡れになりながら

灰色のフェンスを閉めて

元どおりチェーンをかけた

 

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少しほっとする。

 

 

 

幸福なラザロ

 

幸福なラザロ、2回目を観に行った。

どうしてこの物語が好きになったんだろう?

イタリアの古い言い伝え、ヨハネ福音書

僕はよく知らない。

 

ただこれほどまでに心が震えるのは全部

描かれる人間の眼差しと、心の機微、そして細部にある暗闇と

小さく点滅する誰にも気づかれない光が

この映画の中に、

この世界の中に横たわっているのを感じる事ができるから。

 

それは心地よくて

時に居心地が悪い。 

切なさと痛みのどこかに何故あたたかさがあったのか?

 

これは 息をしているんだと思った。

 

 

お話の冒頭部分

ラザロがみんなの輪の外いる。

裸電球に照らされて 白く切り取られるその朧げな

まるで空気のような、

誰にも意識されることのないその姿。

 

それを見ていた時に

ふと、神様はこんなふうに佇んでいるのだろうかって感じた。

あるいは 自分の見落としている大切な物や人、出来事。

こんなふうにすぐ後ろに なんでもないように

そっと存在してたのだろうか?

 

だとしたら

もっと目を凝らして感じたり

見るべきなのかもしれないな。

 

人とは

隣にいる人は

あるいは会ったことすらない人

もう覚えていない人

全ての人

それはどういう存在で

合わさって起こる反応と法則と構図と

それを壊すもの

あるいは再生させるものとは何か

そこで副産物、もしかしたら隠された本当の目的として生み出される

それはなんだと彼らは言っていたのか。

 

なんて緻密に、丁寧に描かれていたんだろう。

 

 

この物語のどこかで息をする事ができたらいいのに。

 

 

 

 

何処かにあった灯

朝早く起きて藤の花を見に行った。

 

藤棚は遠くへ行けば行くほど

花びらと房の境界線が薄くなって

ぼんやりと

薄紫の光が滴っているように見えた。

 

あの灯りは独特で多分忘れないと思う。

 

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その後に

すぐ近くに少し前まであった祖母の家、

取り壊された跡地に住宅が四軒建っている場所

を初めて訪れた。

 

祖母の家は昔ながらの民家で

酒屋を営んでて土間と二つの大きな蔵、

それから上り口にかけてあった曽祖父の刀と

柿や桑の木と、シロやロッキーたちがいた庭

 

いろんなこと思い出しながら

車を走らせたんだけど

 

ああ なんと

 

本当に跡形もなく。

ずっと昔からそこにあったみたいに

家は四軒建っていた。

 

裏のメダカがいた用水路も

全部埋め立ててあって

 

屋根の上に登って従兄弟達と見た花火とか

今でも夢に見る

幽霊がいる二階の薄暗い部屋とか全部

 

そう、まあ記憶の中だけに残された世界になってた。

 

そこに何か感情は

あんまり伴わなかったような気もする。

 

ただそうやって時間は経って

 

いろんなものは、

必要とされなくなったもの

古くなったりしたものは

新しいものに入れ替わって

当たり前にそばにあったもの、

だんだん自分の身の回りのものや人も

今後生きていく上で

記憶だけの世界の部分が

多くなるんだなって思ってた。

 

 

記憶だけの世界が作られていくスピードか

物質の伴った

現実の世界が再構築されていくスピードか

どっちが早いだろう?

心はいつも追いついていけるのかな、

 

でも 多分

どちらも本当で、本当だった事には

間違いないよな

 

失ったものの失った事実を

行ったり来たりするより

無数の奥行きのある記憶と、

それから今この瞬間を同じように感じて

どれも紛れも無い

自分の世界の一部だから大丈夫だと

ちゃんとあるがままを受け入れたい

 

そうできるようになれたら。

 

 

 

平成が終わりました。

ありがとう

それからこんにちは

令和

 

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脳裏にあるもの

その展覧会は1995年3月にハンブルク社会研究所によって企画され、行われた。

 

 

1941年ナチスドイツのソビエト侵攻、

東部戦線において行われた 戦争犯罪行為。

捕虜や一般住民、

ユダヤ人に対する虐待や虐殺、

 

これらに関与していたのは

戦後のニュルンベルク裁判で

犯罪組織として訴追対象となった

親衛隊や特殊部隊、警察大隊だけでなく

一般の兵士達(ドイツ国防軍)も含まれていた。

 

この事実を、写真や残された資料をもとに

取り上げて展示がおこなわれた。

 

「絶滅戦争  国防軍の犯罪1941-1944」と題されて。

 

これはドイツやオーストリアで大きな議論を巻き起こした。

何故ならば国防軍問題は、

ほぼ全てのドイツ人に何らかの形で関わりを持つことになり(家族や親戚、自分自身だから)

戦後ドイツ社会のタブーであったから。

 

昨日見たドキュメンタリー

戦争の彼方=Jenseits des Krieges は、

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1995年10月18日から11月22日までウィーンでこの展示会が開催された時、

そこに訪れた人々に

「当時あなたはどこで何をしていたのか?」

と問いかけ、それに答える様子を撮ったもの。

 

解説や再現映像、音楽は一切ない。

ただ、人々が語るだけ。

 

だけど

衝撃だった。

 

展示の開催地ウィーンのあるオーストリア

1938年にナチスドイツの進軍により3月31日に

ドイツに併合された。

オーストリア国民の多くがそれを支持したともされている。

そして、オーストリアの若者はドイツ軍に招集され派兵されていった。

 

 

このドキュメンタリーに出てくる人の

ほとんどは、おそらくもう

この世界を去っている。

 

ドイツ国防軍兵士、元赤軍兵士、元連合軍兵士、家族、ユダヤ人、市民。

 

彼らはそれを見に来て、

インタビューを受けた。

 

そこで語った一人ひとりの目を通して

見ていたもの。

 

当時のそれぞれの立場や

複雑な思想や感情、生活が

ある部分は浮き彫りになっていった。

 

 

そして

多くが一人きりで来ている元兵士達でした。

声を荒げて、あるいは静かに語った事。

語れなかった事、偽った事。

それでも何かを確かめたくて足を運んだ。

 

見たものや、した事を自分の中に押し込めて

きた事。

その混乱や苦しみは顔に刻まれていたと思う。

 

そしてそれはあまりに大きすぎたけれど、

心を保って生きるために

いくつも理由をつけたり

いくつかを閉ざしたり、

 

しかしそうすることもできずに苦しみ続けたり

 

それぞれがそれぞれの戦後を生活していた。

 

展示会は

もう一度それらをこじ開けるものだったのかもしれない。

 

 

一人ひとりがインタビューに答えた事は、

それを見ている私たちに対しての疑問の投げかけでもあった。

 

誰が誰を裁けるのか?

ではあなたなら何ができなのか?

被害者と加害者の境界線はどこなのか?

誰が悪なのか?

 

無数の…

 

 

 

だけどその答えがわからなくて苦しい。

 

 

 

 

語った言葉よりも

過去の映像を

まるで今そこでもう一度起こっているかにように

鮮明に見つめながら話す

それぞれの表情が焼き付いて離れない。

 

 

 

 

国防軍兵士

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元空軍兵士
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国防軍兵士

(彼の表情は最も忘れがたいものでした。)
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「実際に経験した事をもう一度見たくて。

これは100%正確だ。

我々が村を占領するたび、彼らは志願者を募った。応じたものは得意満面で

20人撃ち殺したぞってね。

それから

ポーランドのピンスク、広場に絞首台があって人々がぶら下がってた。
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私は一度教会に行ったが、住民は皆 僕を憎しみの目で見た。まるでクズを見るように。

 

当たらずも、遠からずさ」
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国防軍兵士
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国防軍兵士と元ドイツ少女同盟のリーダー
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展示は嘘だと主張する元兵士を問い詰める一般市民
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国防軍兵士
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父親が従軍していた娘
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ロシアに暮らしていたオーストリア人女性。

彼女の夫はスターリンの粛清によって戦前に銃殺されている。
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国防軍兵士
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当時12歳で近くにあった収容所での一部始終を目撃している女性
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赤軍兵士
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国防軍兵士
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第6軍に所属し、スターリングラードにいた元兵士
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兵士だった父親を亡くしている女性。

この展示を信じろって言うならば私は首を吊ると話した。
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国防軍兵士

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僕は始めから終わりまで東部戦線にいたんだ。

細かいことは省くけど、人はいつも

「何故、何もせずに見ていたんだ?」と問う。

私も自分自身に毎日問うている。

25歳の普通の男が逃れるために何ができたか。と。

脱走は論外だ。逃げるったって一体何処へ?

 

多くのことを見たはずだ。

 

前進してたら突然民間人が40-50人護送されるのを見た。彼らは何処かへ連れ去られてしまった。

収容所に連行される途中だったんだ。

彼らの身には何か起こったに違いない。

ソビエト進軍中僕らは何度も国土を荒らし回った。前進したり後進したりして…

僕らの通った後は焼け野原だった。

僕は自分自身に問うた。

何故ロシア人は僕らを皆殺しにしなかったのかと。…僕らはあんなに酷いことをやったのに。

 

今だから簡単に言うけど

あの大惨事を避けるために何が出来たか、未だに回答を見つけられないんだ。

 

だってまずソビエトとは言葉の壁がある。

ロシア人に対して何か手立てはあったのか?

何もない。

憎しみから即刻撃たれていただろう。

「私は正直な民主主義者だ」とでも?

私は1938年に召集された。

まだウィーンが戦争に突入する前だ。

その後戦争が始まったんで戦わなければならなかった。

個人にはどうしようもないだろ?

答えを教えて欲しいよ…

みんな言う、逃げりゃよかったって。

一体どこへ逃げるんだ?

 

僕にはオーストリア併合は占領だった。

社会民主党として育てられたから。

ナチなんて論外だった。

だけど逃げ道がなかった。

 

そして未だに答えを見つけられないんだ。

 

僕の信条なのに

 

これらを見ると…

恥ずかしい思いをどうすることも出来ないよ。

 

 

引用や参考文献

・戦争の彼方 Jenseits des Krieges

:ルート・ベッカーマン監督

国防軍の犯罪と戦後ドイツの歴史認識

:田中 潤

・ドイツ陸軍とSS特別行動隊

:吉本 隆昭

 

展覧会のカタログ

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ライラック の前に

これから描いていく全部のお話の始めに

 

 

 

ある人を探しています。

手がかりは、その人が撮った350枚の写真と

写真の裏面に走り書きされたメッセージ。

それから自宅のある街、野戦郵便番号…

 

その人は、ドイツ国防軍の一兵士でした。

 

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写真は第二次世界大戦

ナチスドイツとソビエト連邦へ侵攻し、そこを戦場とした東部戦線で主に撮られていて、

ロシア、ウクライナベラルーシ、ほんの数枚はフランス侵攻の時のもの。(彼の書き記した地名と、写っている部隊や建物などで判明)

 

僕は多分ちょっとこじれた収集癖があって

昔の誰かの写真アルバムとかを譲ってもらっては、あれこれ自分の絶対に辿ることのできない人生を想像するのが好きなんだと思う。(人ごとでいられる、お気楽なクソ好奇心なのかもしれません。)

 

だけどいつもはこんなにものめり込んだりはしなかった。

 

彼を、(フランツ(仮)と呼びます)探したいと思ったのは

彼の目を通して見るもの全てが、視線や、写真を通して伝わる思考にいいようもなく心を揺さぶられたから。

残された写真の裏に書かれたメッセージにも。

 

 

そして決定的だったのはある事実。

 

東部戦線においてナチスドイツは1941年の
ロシア・ソビエト連邦社会主義共和国(SSR)に侵攻した時、

後方でユダヤ人をはじめとする多くの市民の虐殺を行ったとされています。

特にベラルーシは余りにも悲惨な仕打ちを受けました。

 

主にそれを行っていたのは、

武装親衛隊と警察大隊や専門に特化したアインザッツグルッペンという部隊だと言われていました。

 

戦後のニュルンベルク裁判では、ナチ党、親衛隊、突撃隊、ゲシュタポ、内閣、親衛隊保安部などが犯罪組織として訴追対象となり、

同じナチスドイツでも別の組織であったドイツ国防軍などの陸軍はそれらにほぼ関与しなかったと長い間信じられてきました。

 

ja.m.wikipedia.org

 

たしかに、国防軍兵士たちの手記や捕虜収容所での記録、家族に送った手紙などには

そのような事実は知らなかった。自分は家族や国のために任務をこなしたまでである。

または、何か不穏なことが後方では行われているらしい。という言葉などが残っています。

 

しかしながらその後も、議論や調査は続き

今では

国防軍も虐殺に加担する事があったという事実が判明しています。

(また、武装親衛隊の立ち位置も当初とは変化しています)

www.verbrechen-der-wehrmacht.de

 

www.spiegel.de

 

en.m.wikipedia.org

フランツは国防軍兵士であり、写真の裏の書かれた

撮影場所や、撮影日時などを地図上に並べていくと

ある部隊が浮かび上がり

高い可能性で中央軍集団に属していたことが分かります。

 

 

虐殺が侵攻と合わせてその後方で行われていた時と、

ほぼ同時期にベラルーシウクライナにいました。

イムリーなニュースでは、

2019年4月9日にベラルーシのブレストで

マンション建設予定地から1000人以上のユダヤ人の遺体が見つかっています。

後頭部の銃槍から、1941年6月〜1942年にかけてナチスドイツによって虐殺された人々だと考えられるそう。

 

www.bbc.com

このブレストにドイツ軍が侵攻した1941年6月、フランツはすぐ近くのBug川で写真を撮っています。

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彼は恐らく

いや間違いなく虐殺を知っていました。

 

350枚のうちたった一枚だけ

そのある瞬間を捉えているものがあったからです。

そして彼は他の写真の裏に書いたメッセージとは明らかに違うものを書き残していました。

 

その一枚は、ピントを少しだけ外し

一見しただけでは何が写っているかすぐに分からないようになっています。

スキャンして、拡大して初めて気づいた。目眩がした。

 

検閲を通り抜けるためだったのかな。

国防軍兵士が、それらの場面を見物することや写真を撮ることなどは禁止されていたから。

 

写真は全て父親宛になっていました。

 

 

彼の心の中の本当の事は間違いなく分かりません。

ベラルーシで撮られている写真の多くは土地の人々で

ほとんどの人がカメラに向かって微笑んでいます。中には子供達と彼の戦友たちが戯れているものすらありました。

そして、その土地のあまりの美しさに驚くように朝焼けや生い茂る草花が写されていました。

爆撃や自分たちの砲撃によって、ボロボロになった街も。

 

彼の写真には、

戦争への意気込みも、高揚も、決意も写っていないように思える。

だけど、反戦感情を持っていたかどうかも不確か。

ただすごく強く感じるのは厭戦的な、その場にいるのに

遠くを見ているような眼差し。とても静かな。

 

 

 

そこにあったのは全て個人の、それぞれの思想だと思う。

組織としての行動や規律、国の信条や情勢、

心理を左右するものは間違いなく無数にあったとしても。 

 

一つのカテゴリーとして括られ、現在では善、または悪という言葉が貼り付けられていても。

 

クローズアップすれば、

言葉の表皮をめくった時そこにいるのは

フランツという1人の人と

彼の見たもの、彼がしたこと、彼が感じたことだけ。

 

判断するのは難しい。

彼は誰で何を思ってそこに生きていたのか。

 

ある日突然、もう二度と写真を撮らなくなったのが

何故なのか、想像はできても本当の事はわからない。

 

彼と彼の写真に出会わなければ

彼だけじゃない

ある時、ある場所にいたのはそれぞれの目を持った一人間で、

個人の内側に本当の意味で意識を向ける事はなかったと思う。

 

フランツのことに思いを馳せたとき、

 

猛烈に何か描きたいと思った

彼についてでも彼についてじゃなくても。

いつも行き着くのは

結局は何も分からないってこと。

でも多分誰かの心の分からない事を分からないと描きたいのかもしれない。

それでも何かがそこには間違いなく存在していたこと。

 

 

 

だから 理解に辿り着くのが永遠に無理なら

形にしながら追いかけて、学びながら無知を埋めていきたいとおもった。

 

これから描くものは

自分が考えたいだけの

誰のことでもない誰のためでもない

ただ

いくつかの人たちの足取りを手掛かりとした

物語です

 

政治的思想や意図、関心などは一切ありません。

場所、人、ものなどあらゆるものは想像上の架空なものです。

またなにかを擁護するものでもなく、資料的価値もございません。

 

 

限局的に取り上げる事による罪悪感は意図したものであっても

頭をいつもよぎります。

それは多分、自分が歴史上という膨大な言語化された流れの

どこかに立っているからだと思います。

 

 

ご指摘やご感想など頂けましたら幸いです。

 

 

 

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(東部戦線のはじめの頃、フランツが撮った写真)

 

 

 

一年前の彼を探し始めた頃の記録↓

 

stoner.hatenablog.com

 

 

 

stoner.hatenablog.com

 

 

stoner.hatenablog.com

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

Bentについて

 

Bent(1997年公開)の映画

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あらすじ

 

1934年、ナチスドイツによる

突撃隊エルンスト・レームの粛清後、

より強化された刑法175条同性愛禁止法

(反自然的なわいせつ行為は、男性である人の間でなされるものであるか、獣との間で人が行うものであるかを問わず、禁錮に処する。これに加えて、公民権の剝奪を言い渡すこともできる。)

により、

 

ベルリンのクラブで働き、共に暮らすマックスとルディは親衛隊に捕らえられ強制収容所へ送られることとなる。

 

マックスはユダヤ人であり、同性愛者であったことから自分により過酷な運命が待つことを予期し

いくつかの取引ののち、同性愛者(ピンクトライアングルのバッジをつける)だという事を隠しユダヤ人(ダビデの星)だという識別バッジだけをつけることになった。

 

そしてルディとの壮絶な別れの後、

強制収容所でピンクトライアングルをつけたホルストと出会う…

 

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この映画を知ったのは、

去年ナチスドイツ関連の本をあれこれ読んでいた時に

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この本の中で、

収容所に連行された人々のうち

最も残虐な扱いを受けていたのがピンクトライアングルの人々だった。

しかし彼らについての詳細はいまだに誰も触れようとせず、まともに調べられていない。(この本が執筆された当時)

 

というような事が書かれていたのがきっかけで

それに衝撃を受けた事。

これまで読んだ収容所に関する本の中には、

完全にその存在を無視しているものすらあったから。

 

(収容所の留置理由:

知的障害者
精神障害
アルコール依存症患者
薬物乱用者
放浪者
ロマ 
レズビアン、売春婦または産児制限をした女性
正規犯罪者
男性同性愛者

強姦犯、幼児性愛者、動物性愛者
エホバの証人及び他の少数の新興宗教の信者
政治犯社会主義者フリーメイソンアナーキスト
ユダヤ
ユダヤ人の政治犯

 ユダヤ人同性愛者
アーリア人)

 

 

それから関連するものを調べてて、

彼らがどのような扱いを受けていたのか

記述があるもので、

翻訳されているのは見つけられただけで3冊。

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中でも「ピンクトライアングルの男たち」は

あまりに酷すぎる仕打ちの

詳細な描写に怒りを通り越して唖然としてしまった。

そしてこの本は、収容所の解放後

20年以上経過して初めて人の手に渡ることができ、著者自身の経験にもかかわらず匿名の体験談という奇妙な形をとっている。

それは、信じ難いけど

刑法175条は1994年まで存在していたから。

 

つまり戦後、解放、なんていう言葉は

当てはまらなかった。

なんてことだろう。

 

 

 

そんな時に、このテーマを映像作品にした

「ベント」を見つけた。

 

もともとは、舞台だったらしい。

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サー・イアン・マッケランとかリチャード・ギアたちが演じて、ものすごく評価が高く

映画化されたそう。

 

舞台はもう観られないから…

 

映画ではクライヴ・オーウェンが主演。

 

 

同性愛、ナチスドイツ、強制収容所、戦争…

本にも書かれていた事実、

 

でもこの映画は

 

これらの…

なにかそういったカテゴリーを全て飛び越えた

 

 

ただ血が滲むようなある愛についての話だと思った

 

 

母と二人で観て、

映画は終わったのに二人とも一言も発することができずに

なんだか打ちひしがれたみたいに

しばらく椅子に座ってた。

それから僕が無言でDVDをしまって

 

12時を回ってて

なにも言えないまま、

空っぽなのに

苦しいぐらいなにかが詰まってしまった胸の

片隅で 寝なくちゃ…って思って

 

おやすみなさい、

 

だけ言って部屋に戻ろうとした時に

 

母が

椅子に座ったまま

「愛って…」

 

って呟いて それ以上言葉が出てこないまま

涙を流してた。

 

 

うん…

多分それについての

これまで感じた事ない感覚を

心に刺していった物語でした。

 

 

 

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空っぽの時間

本を買いました。

いつもは結構明確に何か

アウトプットしたいものがあって

それに必要な情報とか、感覚とかを集めるために本を買ってることが多かったんだけど、

 

今回買った五冊は五冊ともそういうのとはちょっと違う気がします。

 

買ったのは、

リチャードリチャード・フラナガン「奥のほそ道」

コーマック・マッカーシーザ・ロード」「すべての美しい馬」

ネヴィル・シュミート「渚にて

ユングユング自伝」

 

自分の外側に近い部分の感覚は

これまで多分何度も名前をつけてきたと思う

 

けど、最近少し自分の内側を遡ろうとすると

どれもこれも実はあんまりよく知らなくて

ほとんど見えないくらいにぼやけてる部分が多いって感じる。

だから、外側の皮は張ってるけど中身は空っぽな感覚。

 

何か表現したいものがあっても

あるところまで行くと

だんだん視界が悪くなって

自分でもその先がよく分からなくなって、

本当に存在してるのか

それともそう思ってるだけなのかなって

不安になるような、

そこで行き止まりになることがこの頃よくある。

 

本に、

この五冊の本にそれを埋め合わせてもらおうとは思っていないんだけど、

 

外に向かって進んでいくより

内側に静かに広がっていくようなものに触れたかったんだと思う。

 

これから、

毎晩ゆっくり深い霧のなかに沈みこめる時間ができました。

 

まずは「ザ・ロード」を開いてみました。

楽しみ。

 

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