幸福なラザロ

 

幸福なラザロ、2回目を観に行った。

どうしてこの物語が好きになったんだろう?

イタリアの古い言い伝え、ヨハネ福音書

僕はよく知らない。

 

ただこれほどまでに心が震えるのは全部

描かれる人間の眼差しと、心の機微、そして細部にある暗闇と

小さく点滅する誰にも気づかれない光が

この映画の中に、

この世界の中に横たわっているのを感じる事ができるから。

 

それは心地よくて

時に居心地が悪い。 

切なさと痛みのどこかに何故あたたかさがあったのか?

 

これは 息をしているんだと思った。

 

 

お話の冒頭部分

ラザロがみんなの輪の外いる。

裸電球に照らされて 白く切り取られるその朧げな

まるで空気のような、

誰にも意識されることのないその姿。

 

それを見ていた時に

ふと、神様はこんなふうに佇んでいるのだろうかって感じた。

あるいは 自分の見落としている大切な物や人、出来事。

こんなふうにすぐ後ろに なんでもないように

そっと存在してたのだろうか?

 

だとしたら

もっと目を凝らして感じたり

見るべきなのかもしれないな。

 

人とは

隣にいる人は

あるいは会ったことすらない人

もう覚えていない人

全ての人

それはどういう存在で

合わさって起こる反応と法則と構図と

それを壊すもの

あるいは再生させるものとは何か

そこで副産物、もしかしたら隠された本当の目的として生み出される

それはなんだと彼らは言っていたのか。

 

なんて緻密に、丁寧に描かれていたんだろう。

 

 

この物語のどこかで息をする事ができたらいいのに。