2022年

2022年が始まりました。

さっきまで紙の日記帳に振り返りを書いてた。

だからここには何を書こうかな…

 

去年の今頃は何してたんだろうって

振り返ってみたら

食べるということ

何を口にするのかということに

興味を持ち始めてたみたい

 

言葉は思考を作るというけれど

食べること食べたものも

思考を作っているような気がする

それらは思うよりずっと

自分を左右していることがわかった

 

だけどその時に感じた。

自分を望む場所に導くために

その前段階の何かを取捨選択することの

難しさ

 

 

そういう瞬間に直面する事の

すごく多かった2021年

 

その場凌ぎの行動を無数にして

自分の決めたことをことごとく守らずに

投げやりになったことも本当にたくさんあった

 

それらが今の自分を作ってる

 

じゃあ、

今の状況は相当ひどいんじゃないか?

 

確かにそうかもしれない。

そう思う部分も無数にある。

だけど辛うじて踏みとどまっている部分

新しい、ハッとするような場所に当たる

日差しの眩しさをも感じる時があった。

 

それは多分、

あらゆる瞬間に

その決定とその後の道のりに

寄り添ってくれるたくさんの大切な人

そして新しい人達がいたからだと思う。

同時に去っていったものが残してくれた

かけらが

いくつもポケットにあったからだと思う。

 

手放すこと

自分の信念や目標、習慣、決意

そういった

踏み外すことを恐れていたもの

それ以外は失敗だと思っていたもの

 

執着

 

それから手放して

落っこちることも学びの一つとしてあった。

 

そこは失敗とは少し違った

 

ただ、土があって

それ以外はまだ名前がなかった。

 

もう一度耕して種を植える事も学んだ。

 

そして待つこと、

 

何もしない時間

 

何もしない自分

 

何もない自分

 

それを土に横たわってじっと感じることへの

恐怖から

実際にその土の冷たさと匂いとその時に見た

空の言い表せない複雑さ

 

だけど

全部

そこからまたのそのそと起き上がって

眠るために戻っていく家を与えてくれた

たくさんのものたちの温かみ

 

生きていくのは

こうあるべきだとは言えない

 

でも、こうありたいと目を凝らさないと

自分みたいに弱い人間は

どっちが前か分からなくなって

歩くことすらできないのは確か。

 

 

自由と、名前のつけられないひとつひとつ

 

それを教えてくれた1年だった。

 

2022年

どうしたいかな?

 

きっとまた初めの頃のアドレナリンで

あれやこれや計画と目標を立てるんだと思う。

 

でもその時、

その時をもっと目を凝らしてみてみたい

 

何が起こっているか、どんな匂いか、

どんな感情か

 

 

誰が隣にいるか。

 

 

 

そうしよう

 

うん、

そうしなくても

今日はいい日だと思えるように。

 

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Second Nature

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年明け1本目の映画は
Don’t Look Upを観に行きました。
大好きなBon Iverがエンディングを歌っているからだったのですが、あんまりにも素晴らしかった。

 

 

自分の振る舞いは

一番初めから備わっていたものなのか、
それとも私たちの習性が生み出した

積み重なりによるものなのか。


どちらも同じ海の中に

ひとつのものとしてあって、
そこをただ手探りで泳いでいるんだと感じた。

 

でもその暗闇は

どんどん深くなるようにみんな感じてる。
だから少しでも明るい方に向かって

下手くそな泳ぎを披露し続ける。

 

やっと岸に打ち上げられて
そこが眩しいのに

何もない砂漠だと気づいた時に


初めから全部揃っていたことを

今更ながら思い出して

その時に隣にいた人たちのこと
そして望んでいた本当のこと


とても小さくてささやかな
見えない光があったことに

気づくのかもしれない…

 

そんなよく分からないことを
観終わったあとに
ずっと考えた。

 

Bon Iver、
Justinの声が投げ出された暗黒宇宙で

軽やかに優しく聞こえてきた時
涙が止まらなくなった。


終わりの歌
世界の終わりの歌
でも終わりじゃないような
気づきの歌

 

素敵な作品でした。

AM3:00

少し早く起き過ぎているような気がする。

 

大体いつもこんな時間で、それが体に合っているようにも思えない。

みんな何か不安なことでもあるの?って聞く。

 

漠然としすぎててそれに関してはよく分からない。

思いつくものを言葉にしてみると

どれもこれもすごく贅沢なような気がして、自分の事がより嫌になるから

声にして音にして再確認というか認識するのを避けてるようにも思える。

 

でも結局のところ、何かあるから

すごく自己愛的なところがあるのは間違いないような気がするな。

 

だけど、結局こんなに早くに目が覚めても

そこから夜寝る前に何回もエンジンが切れちゃってる。

 

もう少し沢山眠れるようになりたいなあ

 

実現可能なプランを考える

夜の12時には必ず目を閉じて、朝の7時まで目を開けないようにする

初めは義務みたいに。

細胞が、それでも大丈夫って気づいてくれるまで。

 

なんとなく思う

最近ようやく本当の意味で理解し始めた事

 

何をするにも

効果を出すには睡眠…というかメンタルが整っていることが大前提なんだって。

 

人ってそんなふうにちょっと弱く複雑にでも単純に作られているから

めんどくさくって不思議だ。

 

直接的に、物質が、外部から与えられるものが

変化にダイレクトに作用するわけじゃないんだね。

 

…もしかしたら、一人の人間についてだけ言える事じゃないのかもしれない

もしかしたら、集合体、もっとずっと大きな社会とか環境とか

あらゆるものがそうなのかもしれない

 

それぞれの隙間にはすごく深くて目には見えないのに何よりも重要な世界が

いつも横たわっているのかも

 

溶解液みたいなものかな

反応を正しく起こすためのもの…

 

それを理解して大切に考えることから

今の自分は始めるべきなのかもしれない

 

あらゆることが、目的地からすごく遠くにあると感じたりする

だから目的地を設定することさえ億劫で

眠れないままのぼんやりした視界で立っているような気がする

何一つ足りていなくて

でもどうしたら近付く事ができるのかなあって…

 

でも、もっとずっと根源的なこと

すごく簡単なことを整えて行くことで

溶解液を整えて行くことで

 

沢山のものが意外にも簡単に

溶け合って反応を起こしていくのかもしれない…

 

もう少し、明日はちゃんと眠れますように…

 

日付を書き忘れた夜用の日記から

最近、朝にウォーキングを始めた。

大体のことが、いつもふとした思いつきだから

どうして始めたのかはうまく説明できない。

 

ただ、後からいろんな理由が

続けるために生まれたように思う。

 

私は小さい頃から眠りが浅いほうで

ここ数年は3時間くらいで目が覚める。

いつもは絵を描いたり、ストレッチをしたりして

もう一度眠くなるのを待つのだけど

5時ぴったりになったら家をそっと出て

1万歩歩く事を始めた。

大体1時間半。

 

5時半にゆっくり周りが明るくなっていく前までは

取り巻いている世界は冷んやりと薄暗くて

ほとんど音がしない。

 

私ができることは

足を動かして進むこと。

頭の中だけが手持ち無沙汰がピークになって

騒がしくなってくる。

 

色々な声が小さな脳みその銀河から

思考の中に落ちてくる

流れ星みたいに取留めが無い。

誰かがその流れ星の瓦礫を大慌てでかき集めて

どこからか現れた大きな棚にしまい直そうと

奮闘してる。

 

私はその間も歩き続けて

ぼんやり薄暗い道の突き当たりを見てる

弱く雨がふりだして

より一層内側と外側の境目が曖昧になる

 

流れ星に乗って

もう忘れてしまっていたことが

ふと大声を上げながら迫ってくる

 

母の声だ。

 

「りんちゃんは私の宝物」

 

「もう一回やり直せるなら、

またりんちゃんと出会って

1番初めから一緒にいたい」

 

その時に思った。

私にとって歩くことは夢を見ているのと

眠っているのと同じ。

人は眠りの中で記憶や思考を整理する。

いらないものやいるものを引っ張り出して

並べ直して

ゴミ捨てだってする。

これはすごく大切なことで

眠りが少ない私は

いつもごちゃついている

自分の頭の中が心配だった。

 

でも今、私の切り離された沈黙の中で

あらゆる記憶がランダムに想起されて

もう一度再考して、新しい名前と

居場所を探している。

 

母は、生き物が苦手だ。

昔からそうだったと言った。

世話するのも好きになるのも苦手だと。

 

だけど少し前

りんちゃんを「宝物」だって言った。

そして多分、家族の誰よりも

りんちゃんのことを思いやって、

お世話をして、全ての時間を捧げていた。

 

りんちゃんの事を話すと

胸が一瞬でいっぱいになって

1秒後には涙をこぼす姿を

もう数え切れないくらい見た。

 

私は歩きながら

「ああ、こういうものを愛というんだ」

そうふと思ってた。

看護学生の時に愛は技術だと教わった。

その時は理解できなかったけど、

今少しわかったところがある。

 

人は愛とは何か思い浮かべた時に、

自分が愛される事を考える。

どうすれば愛してもらえるのかを考える。

 

誰かを好きになった時の薔薇色の風景や

感覚を愛だという。

でも多分これらは、寂しくも

生理現象の興奮状態なのかもしれない。

 

つまり

愛は多分、「愛する」ことなんだと思う。

それで、

これはただすごくシンプルな技術なんだ。

「今この瞬間、それだけに集中すること」

一人の、一匹の、一つの…そのものだけに

全神経を集中させて向き合って、

何ができるか考えて

それを実行すること。

そして集中し続けること。

これが愛なんだってふと思った。

 

歩いている間、

夢見心地のような

眠っている時にしか許されないような

あんまりにも不確かな星を

観測し続けていると思った。

 

いいんだ。

私は眠っている。

 

家に戻って、

汗びっしょりのまま

フロムの「愛するということ」を読み直した。

 

彼がすごく昔の人のように思う。

彼の持つ偏見に嫌悪もする。

だけど時代だったのだろうか?

私は今この地点に立っていなくても

この思考を保つことができるのか?

何もかも不確かだから、

今自分がどうするかに全力投球したい。

 

ただ、

愛のための修練の項目にはハッとさせられた。

 

経験に基づいた確信と信念が

勇気を出してジャンプして

愛することを可能にする。

 

私はもう一度目を覚ます。

 

汗はとっくに乾いてしまっている。

 

 

歩いていく間に駆け巡った

記憶のこぼれ星から

こんなところにたどり着いた。

 

きっと

歩くことは少しの間だけ

もう終わってしまったと思っていた

 

夢の続きをみることかもしれない。

 


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2018/7/16-2021/7/17へ、ひとりきりのワープ

偶然だけどちょうど3年前の昨日

あなたに会いに行った

暑い暑い中

家の縁の下から飛び出してきて

私たちを迎えてくれた

 

それでちょうど3年後の今日

もうどこにもあなただけ見つけられなかった

 

でも痕跡はそこかしこにあった

 

よく散歩した河川敷へ降りた時

あまりにも草木の風で擦れる音が大きくて

他にはもう何も聞こえなくなった

 

グラスハープだった。

 

あなたのことを

木や草たちが話しているのだと思った。

 

耳を澄ませていると

あらゆる事を思い出した

 

私は呆然としながらそこに立ち続け

 

これから先何度もその声を聞きに

ここを訪れるんだと分かった

 

それで

いつか風が止んだ時

あなたのことを

自分で話す事が

できるのかもしれないと思った。

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影が一瞬あなたに見えてはっとして足元を見る
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日付を書き忘れた夜用の日記から

もう

なんというか

圧倒される。この悲しさに。

本当に圧倒されすぎて、

とっくの昔にその中で倒れて

溺れてしまったようにも感じる。

 

ああどうなんだろう。

言葉にできる部分もある。

これも同じ悲しみという海の中の成分を

説明していると思う。

 

だけど、少し離れたところに

言葉にできないまだ真っ暗で音のない

場所がある。

その場所を

その真っ黒なシルエットをイメージするだけで

あの無声映画のような

漣立つ浜辺の奥をイメージするだけで

私は怖くて考えるのをやめる

猛烈に涙が出てくるよ

だけどそこから離れられない

多分その奥に君がいるからだ

 

はじめの時から

そして今、終わってしまった後の

この全ての時間が

多分人のためだけにしかなかった事が分かる

 

ペットかあ。

 

りんちゃん。

 

君はどうだったんだろう。

 

何がどうだったのか

今はもう、いや初めから分からなかった。

でも時々自分勝手にわかったような気がして

また分からなくなって

ただ本当に手探りでずっと

ジタバタしていたと思う。

それで、今、これらが自分の、

人間の枠組みの中で

言ってしまえば虚しく行われ続けていて、

今この瞬間も同じだって分かるよ。

 

でも、書かずにはいられない

声を大にして言いたくなる

君は素晴らしい子だったと。

君のことが本当に好きだったと。

君は本当に幸せになるべき子だったと。

 

りんちゃんが

この世界から去って行きました。

 

ここ1ヶ月は、もうほとんどご飯も食べられなくて動けなかった

最後の数週間は毎日の点滴と

1時間ごとの体位変換

30分ごとの水分をシリンジで口に落として

湿らすくらい

 

獣医の先生は点滴には

栄養分が入っていないから

もって2、3日だとはじめの頃に言っていた。

でも、君はそっと息をして

それから2週間頑張った。

夜、家族の誰かが交代でそばで眠ったけれど

朝、君はちゃんと息をしていて

それで目を覚ました。

苦しかったと思う。

夜の音のないひととき

何を思って、どんな気持ちで

朝を待っていたのかな。

呼吸はすごくゆっくりで、

心音も切ないくらい乱れて弱くなってた。

 

今もまだ

君の事を考えると地団駄踏んで

駄々をこねたくなるのは

一緒にいられたのが

1年とほんの少しだったから

去年引き取ってきた時にはもう目も耳も

聞こえなくて

認知機能もかなり下がってた。

 

君はどこで生まれてどこで育って

何を見てきたんだろう

この世界は君にとってどうだったんだろう

 

考えると、

人の感覚の中でしか考えられないけど

すごく辛いよ、

 

虐待とネグレクトが人と君が

過ごした殆どだったと思う

夏は死ぬほど暑くて

縁の下で一生懸命掘った穴の中にいた

でも、数ヶ月に一回様子を見に行った時には

私を見て小さな鞠のように体をぶつけてきた

 

人が本当に好きな子だった。

たくさん傷付けられてきたけど

人を傷つけたりは一度もしなかった

全身であなたが好きですよといつも

言ってくれた

 

人は多分、君の愛に値しないし

この世界もそれに値しない

 

でも、引き取る少し前から

君がぼんやりし始めていたことにも

私たち家族は気づいていた。

でも、すぐには引き取る覚悟ができなかった。

 

今でもぶん殴りたい。

もう少し早かったらもっと楽しい思い出を

あげられたかなって

ほんと不毛なことばかりどうしても

考えてしまう。

 

引き取ってからの

今日までは、次々に不調が出てきて

それとのいたちごっこでもあって

私の至らなさから不便や不快な思いも

させたと思う。

 

少しでも安らかに、

ゆっくりときを過ごしてほしいと

みんなで願い続けていたけれど

結局手探りのドタバタ劇だったようにも思う。

 

だからやっぱり

あっという間すぎて

語れるような穏やかな思い出が

あんまりにも少なくて

それが悔しくて

何か君のことを話そうとすると

すごく言葉に詰まってしまうんだ。

 

本当に悔しいよ。

 

だから

君は愛されるべき子だった

大切にされるべき子だった

幸せになるべき子だった

本当に君のことが好きだったと

大声で言いたくなってしまう。

ずっと叫んでいたい。

届かないものに触れられるかもしれないとか

君の中の埋められなかったものに

無理やり敷き詰めたいと思っているからか。

 

本当にどうかしていると思うけど。

 

最後の日、

朝君をつれて父と病院に行った。

尿閉塞に近いものが起きていて、

尿路感染を示すデータが深刻だった。

だから、先生が膀胱を圧迫して尿を排出させて

輸液をした。

レベルは下がっていたけど、りんちゃんは少し痛そうにもした。

 

施術の後、私はりんちゃんと車に先に戻って

父は会計をしてた。

 

車の中で、

「痛かったね、ごめんよ

帰ってゆっくりしようね」って

そう言ったら、

虚だった君の目に君が突然戻ってきたように

見えた

 

それで

もう長いこと聞くことのなかった

あの可愛い声で

でも少しびっくりしているような声で

3回鳴いた。

一瞬嬉しさと、何かがおかしいかもしれないという予感が走った。

それから体をぐぐっと緊張させた後

ふわあっとりんちゃんの体が弛緩するのを

感じた。

 

あ、りんちゃんが出てってしまう。

そう思った。

次の瞬間には病院に駆け込んで

 

「お父さん!りんちゃんが死んじゃうかもしれん!」

きっと病院内でご迷惑だけど

私は大声でそう言ったと思う。

 

二人で車に戻った時には

りんちゃんは下顎呼吸が始まっていた

 

すぐに

処置室にさっきまで担当してくれた先生が

君を運んで呼吸と血圧を確認した

弱くなりつつあるけど

まだいけるかもしれないと言って

バックバルブマスクと心電図、

それからすぐ心臓マッサージが始まった。

 

でも顔で分かった。

もうその時には、君が出てった事を。

 

先生は汗でびっしょりになりながら

30分以上も蘇生を試みてくださった。

私たちは後ろに突っ立って

音を立てないようにしてた。

でも滝のように涙と鼻水が止まらなかった。

 

あの蘇生はきっと人のためにあるんだと

思った。

君はもういなかったから。

 

「りんりんちゃん、

心臓がもう動きませんでした」

そう言ってびしょびしょで振り返った

先生の顔は辛そうだった。

私たちが、

縋り付いて何か言ったりすると思ったのかな

声が震えて

何か覚悟した顔をしてもいた。

 

父は泣いていなかった。

二人でりんちゃんの手を握って

先生にお礼を言った。

 

先生が、とても逞しそうにも見えた方が

泣き出して

「りんりんちゃんの体をきれいにさせていただくので待合でお待ちください」

そう言った。

 

待合室で私はうずくまってぐらぐらしながら

泣いていた。

「どうしよう、こんな辛いのは」

私はもうどうしようもない事を

取り止めもなく呟いてた。

父がいてくれて良かった。

 

「何がいいとか悪いとか、

タイミングがどうとか

そういうものはない。初めからどこにも。

全部生まれる前からその時というものは

決められてる。

だから、

ただ今日のこの時だったというだけ。」

 

「後悔することもこの先あるかもしれないし

悔しさも、これは良かったとかって思う

肯定感も全部りんちゃんのためにはもうない。

初めからりんちゃんのためだったことなんて

何一つとしてない。

ペットを飼う、何かをどこからか連れてきて

人の生活に繋ぎ止めるということは

そういうこと。

全部人のためにある。

忘れないで。」

 

父がいてくれて良かった。

今この瞬間も

今後も私は悲しみの中で何回も溺れると思う。

それでもこの言葉たちは岸に上がった時

冷くも暖かくもなく

ありのまま

私をそっと待っているんだと思った。

 

次に処置室に呼ばれた時

私は息を呑んだ。

りんちゃんが、もうずっと

毎日体拭き、ベッドバス、消毒をしても

日々落ちきれなかった汚れで

代謝が落ちてただれやすくなった皮膚と毛が

ドロドロで見ているのも苦しかった姿の

りんちゃんが真っ白になっていた。

 

亡くなった、その事実の悲しみ以上に

その美しい姿に胸を打たれた。

今からお嫁に行くみたいだねって

なんでかそんな変なことをも思った。

先生はまだ泣いている。

 

私たち二人はまた

「本当にありがとうございました」

それだけ言った。

 

エンゼルケアは残った人間の心を

救うためにあると分かった。

亡くなったその子のためではなく

人間の受容のためにあるのだと分かった。

だから、

心を尽くしてケアをして下さったことに

本当に感謝してもしきれない。

りんちゃんが、

すごく穏やかに眠っているようにも

見えたほどで

 

誰よりも何よりも君を愛していて

1番ショックを受けるだろうと心配していた母がその死を受け入れることが

できたことにもつながった。

 

君はお母さんの宝物だったんだよ。

 

先生が用意してくれたティファニーカラー、

天国の空の色とも言えるような箱に入れられて

君は車の後部座席に戻った。

私たちが路地を曲がって消えるまで

先生は泣き続け、そして地面に頭がついてしまうんじゃないかというくらい

頭を下げ続けていた。

 

 

君はどこからきたんだろう?

どろんこでうちにやってきた。

でも、去り際はこんな美しい姿で

私たちの苗字を勝手につけられ

私たちの家族としてこの世界を去った。

 

そう思わせてほしい。

 

この今の気持ち全て

ここに書いてあるこの文字の羅列全て

自分のためだけにしかもうないから。

 

こんな優しい子がこの世界にいたのかあ

信じられない

本当に君のことが好きだった

みんな君のことを間違いなく愛してた

それを自分勝手だけど

本当に少しでもいいから伝えたかった

どうにかして

どうにかして伝えたくて

毎日必死だった

 

それができたかどうかは

もう永遠にわからない

 

でも

できることしかできない事も学んだ

 

できることをやるしかなくて

想像は意味をあまり成さなかった

 

本当によく頑張った

うちにすごい子がいたんです。

本当に可愛くて

素晴らしい子がいたんです。

 

できることなら

もう一度会いたい。

 

本当に頑張ったね

本当にありがとう

 

ゆっくり

ゆっくり休んでね。

 

りんちゃん、またね。

 

 

 

 

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うちに連れてきた日の車の中で
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来てから一ヶ月くらい?
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笑ってるみたい。
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来た日と二ヶ月後
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2021年5月 15歳と3ヶ月
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日付を書き忘れた夜用の日記から

プラネタリウムに行った

 

ソーシャルディスタンスで隣の人とはかなり遠い

 

人工的に夜になったときには

完全にみんな消えてしまった。

 

だから私は一人で星を見てた。

 

ナレーターの方が「今」はどこにあるのか?

そう言った。

彼方からの星の光はもうずっと前に

その場所を出発して

何年も旅をしてから

小さな熱のかけらとして

私の網膜に到着するから。

 

私たちを等しく捉える

「今」なんていうものはもしかしたら

ないのかもしれないって思う。

 

自分本位でしか

説明することができない。

いろんなことが。

 

ただ誰とも共有することのできない自己感覚の

その中でだけ息をしている「今」以外に

まだ名前を決めかねているものを感じる。

 

それが私にいつも何かを言っている。

無駄にしていいのか

戻るべきじゃないのか

進むべきじゃないのかって。

 

ここで見ているものの

どれだけが「今」なんだろう。

りんちゃんのことばかり考える。

君を見ているのは今だけじゃないと思う。

過去と未来の両方、

あらゆる時間を宇宙の中から

拾い上げてる。

 

星が巡る、月が昇る、日が沈む

私たちは自分のことが見えない。

時速1700kmで自転しているのは自分なのに。

そういうことはこの世界に多分

すごく沢山あるんだね。

だから、こうだって思ってることの

その逆が真理だってこともある

 

ここで見ているものが

ここで見上げている悲しさが

多分全てじゃないんだ。

 

網膜に届くまでにいくつものベールに

遮られて遮られて形を変え続けた光

それでもずっと前から道標として

私たちはそれを信じてきた。

暗闇では、

他に立ち位置を示してくれるものが

なかったから。

 

今どこにいるのかって?

 

どこへ行くんだろう。

今と前とこの先の

りんちゃんは。

 

 

そういえば少しだけ最近のことを

書いておきたい

 

まだ寒い時期に種を蒔いた植物たちが

次々に実をつけ始めました。

葉物野菜はもうすでに沢山収穫ができた。

 

植物たちの中で立っているとき

その力強さと

優しさ

いただくということの恐れ多さと

ありがたさを

痛いほど感じる。

 

それから

私にはきっとずっと分かることのできない

彼らだけが気づいている 

「その時」という瞬間を。

 

最近、お花を見ることも増えた。

一緒にいる人が植物の研究をしているのは

偶然だったけど

二人で緑の中にいると

気付かされることが多い。

これはとても得難い時間だということ。

美しいと思うもの、興味深いと思うものが

同じだということはすごいことだった。

二つの感覚の部屋をお互いに

行ったり来たりすることができる。

 

そこで見たものには

ちゃんと温度があったと思う

 

どこかで優しい

クラシックギターの音が聞こえる

 

生きていく間にこのような瞬間があるとは

自分にあるとは思わなかった。

家族と一緒にいるときの

りんちゃんと一緒にいるときの

一つ一つの感覚だってそうだ。

 

こういう瞬間が私の人生に

あるとは思わなかった。

 

これはどこにあったんだろう?

ずっとあったのに

朝の星みたいに気づかなかったのか

ないと思って自分が目を閉じていたのか。

 

 

これから先

そうじゃない瞬間を沢山経験すると思う。

 

 

でもそれがあったということ。

だからきっと 

 

 

「今」ここでひとり

 

星を見上げていることができるんだと思った。

 

 

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