オデッセイ

帰り道

道路が凍ってて

冷やされた空気が

暗闇の突き当たりに集まってた

その黒く凍りついた

ブラックホールみたいな空間

 

あの先にまだ二人はいるのだろうか  

 

あの人に電話をする

 

オーバーバイエルンの小さな村

何年振りか

騒がしい酒場の音

だけど

その人の声は丁寧に切り取られて

まるで違う惑星から届く手紙みたいに

 

彼はよく思い出せない

なにもかも覚えていたはずだったのに

 

言いたいことは

お互い随分前に分からなくなっていた

ただ一つ確かなのは

この距離は途方もなく広大だってこと

 

どうすれば目印の火になれたのか

二人は宇宙のどこからも見えない場所に

お互いに隠れて

それも忘れて

凍えながら

日が当たらないのを嘆いてる

 

どこから来てどこに行くのか

すべての声は語らない

音の前には何もなかった

 

彼は窓の外

地平線のずっと先 

その行き止まりに目を凝らす

 

想像できないから

そこには初めから誰もいなかった

反対側にいるはずの自分さえ

初めからいなかった

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2017.12.3

 

 

 

 

嬉しかったこと

さっきおじいちゃんが僕の部屋に来て、

 

部屋で横になってたり、

のんびりしてる時に

前にもらった絵をいつも眺めてるんだけど

他のも見たいなって思って。

いま描き終わってるものある?って聞いてくれた。

 

前に絵をプレゼントしたのは何ヶ月か前。

僕の家は二世帯で、おじいちゃんは一人きりで廊下を挟んで隣に住んでるんだけど

(自分のことは自分でやりたいし、気を遣いたくないからって)

90歳を過ぎてるから心配で毎日話したり、

声をかけたりはしてる。

 

絵は、そのきっかけづくりっていうか

おじいちゃんの部屋に入り浸るための(じゃなきゃ挨拶とか近況報告くらいになっちゃう…)

口実で無理やり渡しに行ってて、

その度に壁に貼ってあるのが増えてって

迷惑になっていたらとか、気を遣わせてたら

申し訳ないなって少し思ってた。

 

欲しいって言ってくれたのは初めてだった。

 

だからはりきって

描き溜めてる、行き場のないスケッチブックを

片っ端からプレゼントしに持っていった笑

 

誰かがこんなふうに自分の絵を見てくれるのって、というか

自分の好きな人が、そのひとときに絵をお供させてくれていたっていうのが。

うーん、なんか違う…絵がどうのこうのっていうより

あの瞬間の温かい気持ちと、それがやってくるまでの緩やかな流れに感謝したくなった。

 

うまく言えないけど

すごく嬉しかった。

 

もっと今よりずっと努力しよう。

 

Das schweigende Klassenzimmer

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(本編に触れている部分があるのでこれから観る予定の方は、読まない方がいいかもしれません💦)

 

 

 

 

列車は進んで、テオの顔に弱い光があたる

彼はほんの少し微笑んだ。

 

映画館の帰り道

みんなのことを考えてた

みんなのこれからのこと

 

密告、疑い、抑圧、小さな教室のなかは、当時の状況をそのまま縮図にしたような息苦しさがあった。

 

でも

彼らが乗ったのは本当に希望の列車だったのか。秤にかければそうだったのかもしれないが、待ち受けているものはいくつもあったはず。

(プロパガンダ、西ドイツの官僚の多くは元ナチスだったのも確か。)

ただ、その列車にすら乗れなかった

エドガーやエリックもいた

 

どうしてあんなにも世界は閉じていたんだろう? 

あの後さらに閉じて、ベルリンの壁となり、それは1989年までそこに立ちはだかっていた。

 

戦後という名の列車、

それが本当の自由に、本当の希望に、それが希望だと気づかないような当たり前の日常に向かって走り出すまで まだ途方もなく長いんだって考えてしまう。

 

勝者は敗者の持ち物を分ける、そんなふうにあらゆるものがいつも分断されてきた。強い力で。ある思想や主義を断ち切るためには必要なのかもしれない。

 

ただ、そこには過剰な統制や抑圧がありそれを受けなければいけない人々がいて、それは地図上のただの境界線ではなく、現実世界では切りつけられて塞がらない痛みが横たわっているんだと改めて感じる。

歴史のそっけない年表、そのどこかにクルトやテオ、レナ、パウル、エリック達がいた。そしてそこには 「静かな教室」があって、その後も彼らは生きたんだと、そう思った。

 

あの場所で、みんなが強い流れの中で考え、守ろうとしたものや信じようとしたもの、その結果失い、また得たものを忘れたくない。そして多数決だった意思決定が、最後には一人一人の決意で列車に乗り込んで行ったことも。

 

後の世界からしか、ある事実の良し悪しや解決策は分からない。でも、もしかしたら今でもそれは本当は分からないのかもしれない。

 

長い列車のどこかで何かを望み、それを目指して乗り込み、すれ違い、偶然隣りあい、そしてどこかで下車していった人たち

今自分はそのどの辺りに乗っているんだろう。

 

今この場所はどこで

そこでは何が起きていて

自分はどう感じ、どう考え、何をするのか

 


映画を観て、もう一度見つめてみたいと思えた。

 

 

きっとこの先も、ふと目を凝らし

昔この列車のどこかに乗っていた、みんなの事を探すんだろうな。

 

 

2度目の6/28

今日

僕の大事なももが

この世界から去って一年が経ちました。

 

あの子を通していろんなことを考えて

いろんなことが分からなくなった

 

去り際

僕は死ぬほど(死んだのはももだけど)

本当に死んじゃうんじゃないかってほど泣いてたんだけど

 

父はその度に

辛いのも、あらゆる思い出も、全てはエゴでしかなくて

執着を、自分本位な、人間本位な執着は

手放すべきだって言ってた

 

ももは

何処かで生まれて

誰かの家に連れてこられて

逃げ出したか、捨てられるかして

動物愛護センターに連れてこられて

ちょうどその時一軒家に引っ越したことで

念願の犬が飼えることになった

小学生の無知な僕が

彼女を見つけて連れて帰った

 

 

こう考えると

ももの人生は産まれる瞬間と

死ぬ瞬間以外は全て人間が支配していたと思う

 

全て人が道を決めて

 

彼女にとってもきっとそれが幸せだろうって

 

そう思ってきた

 

けど

本当はどうだったのかな

 

何かを 飼う  って一体なんなんだ?

 

分からない

 

ヒトってなんでなにかを  飼う  んだろう

 

あの時の僕は

何か弱いもの(そもそもなんで動物が自分よりも弱いと思っていたのかが怖い)をお世話したかった

犬や猫を飼ってる人を見てずっと羨ましかった

可愛くてそばにいて欲しいと思った

 

だからそうしたんだと思う

これってすごい考えで

すごいぶっとんでることだ

きっと人間しかできない

 

ももは僕たちの茶番に付き合ったのかな

 

分かんないや

 

父はそんなようなことを言ってた

 

でもそれがこの世界の法則で

抗えないんだって

 

だから

悲しみを乗り越えるために

それらが人間のエゴで

ただの事象でしかないってことを思い出すんだって

 

だけど君を思い出す時

あらゆる思い出が波みたいに押し寄せる時

それにのみこまれて

どうにもならなくなる時がある

 

家族になろうとしてくれた

というか

それ以外に方法はなかったんだろうけど

というより

僕たちが為す全ての、勝手につくったルールなんて

一つも知るよしが無いはずだから

与えられた場所でまた一から生きようとしてたこと

それがまるで

家族になろうとしてくれているみたいに

そう勝手にみていたんだな

 

動物は悲しい

けどそれを実行してる僕には

こんなこと言う資格はない

 

あの子は家族になった

自身がどう思っているかは分かるはずもないけど

僕たちはそう思った

それ以上になった

 

いっしょに眠ったこと

落ち込んでる時側にいてくれたように思えたこと

最後の瞬間の不思議な出来事

ありとあらゆる

 

 

全てはエゴなのに

 

君の優しさや

温かさ

心の繋がりだと思えた瞬間

 

そういう勝手なことばかり

やっぱり思い出してしまう

 

あれはもう二度と感じることのできない

特別な瞬間だった

 

思い出すたびに

どこかでまだ小さく打ち上がっている花火みたいに

頭の後ろで火花が飛び散るのを感じる

 

 

寂しいとか

もう一度会いたいとか

 

いろんなことを考えさせられすぎて

もううまく言えない

 

ただ猛烈に悲しい

 

それだけ

 

もも

 

 

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ごみ箱

 

分からないのは

疑問に思うのは

もしかしたら無知だからかも知れなくて

もしかしなくても多分そうだから

何かに反発したりするのは

ものすごく不安を伴うと思う。

 

掘り下げたら

それは正しくて

はっとさせられてしまうのかもしれない

だったら

抵抗や批判から始めるのは

後で取り返しがつかない気がして

結局頭の中で沢山話して

完結しておしまい。

 

何かを

言葉で、

自分の有り合わせの言葉で

ほんの少ししか持ち合わせのない言葉で

こういうもんだって区切ったら

それを外に、

誰かに投げかけたら

多分それは残るんだ。

 

後から塗り足そうなんてもんなら

自己嫌悪しかしない。

 

だけど

分からないな。

 

ずっと考えてるんだ。

 

頭の中でそれについて話すのは

もう無駄な気がした。

 

 

 

なんで信仰が違うと

オーブンを使っちゃいけないのか。

 

分かんない。

 

律することは

あらゆる制限は人間を高めるものなのかもしれない。

だけど今のところ

ある制限には

実証されそうな効果を感じられないんだ。

ぶつけられた人間のちょっとしたショックくらいしか。

 

 

信仰は

自分自身をより良い人間に

自分を誰かを大切にできる人間にするために

あるんだと思ってた

 

だけどなんで

心や世界を分けるんだろう。

 

自分にあらゆる制限をかけ

律することは間違いではないと思う

 

だけどそれが信仰に基づくものであれば

別の信仰を持つ誰かにそれを

強いたりするんじゃなくて

丸ごとその誰かを

受け入れたりはできないのかな

それくらいしたって揺るがないような

思いやることのできるようになるための

そういうものが信仰ならいいのに。

 

信仰に基づいて

オーブンを使わせられないのも

その人が愛する人を認められないのも

 

取るに足らない

ただのルールなのかもしれない

 

だけどそれは

別の場所では膨らんで破綻して

釘の詰まった爆弾みたいに

誰かを傷だらけにしてるように感じる

 

分からない

 

でも誰か 専門家みたいな

なにかの神様みたいな人がでてきて

そんなのは仕方ない

理由があるんだそういうもんだって。

そう教えてほしい

 

無知が喚いてるのを静かにできるように

 

 

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Schön

湿原に行った時のなんでもない記録

 

 

 

そこは山奥で

あまり有名ではない小さな湿原。

 

入り口は灰色のフェンスにチェーンがかかってる。

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「自由に入り、帰りにはチェーンを元どおりにするように」

その通りにする。

 

 

弱い雨が降ったり止んだりしてる。

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空の色が減るほどに

花と草木の色が強く浮かび上がってくる。

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遠くの方まで木を組んで作られた道

誰もいない

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不思議な感じがする。

 

なんでか分からないけど

雰囲気があって

一体なんの雰囲気なのかも分からないけど

 

すごくいい感じだって思った。

 

雨が強くなってきたから

カッパをかぶってただ立ってた。

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雨粒が反射して急に緑が光り出したように見える。

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湿地にいた虫やカエルが一斉に鳴き出す。

 

 

僕は消えた。

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実際は消えてない。 

そもそもさっきから一歩も動いてない。

ただそんな感じがして

そうなったらいいのにって思った。

 

なんでか分からないけど。

 

でもいい感じだった。

 

 

そこで出会った木や

黒松の幹を覆ってる苔や

山藤や名前の知らない花

雨に濡れている蜘蛛の巣

 

綺麗で

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きれいだって思っていたんだけど

なんできれいだと思うのか同じくらい考えてて

 

多分その時の感情とか

必要でないもの

または価値観感性

他にもたくさん 

 

それを貼り付けて

貼り付けられた加工品を見ているからなのかなって思った。

 

でも、そう思ってから

そうじゃないといいなとも思った。

 

 

帰りは助手席で

ナビゲーション係をしながら

それについて少し話して

気づいたら眠ってた。

 

そういえば、

 

湿地を出る時

びしょ濡れになりながら

灰色のフェンスを閉めて

元どおりチェーンをかけた

 

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少しほっとする。

 

 

 

幸福なラザロ

 

幸福なラザロ、2回目を観に行った。

どうしてこの物語が好きになったんだろう?

イタリアの古い言い伝え、ヨハネ福音書

僕はよく知らない。

 

ただこれほどまでに心が震えるのは全部

描かれる人間の眼差しと、心の機微、そして細部にある暗闇と

小さく点滅する誰にも気づかれない光が

この映画の中に、

この世界の中に横たわっているのを感じる事ができるから。

 

それは心地よくて

時に居心地が悪い。 

切なさと痛みのどこかに何故あたたかさがあったのか?

 

これは 息をしているんだと思った。

 

 

お話の冒頭部分

ラザロがみんなの輪の外いる。

裸電球に照らされて 白く切り取られるその朧げな

まるで空気のような、

誰にも意識されることのないその姿。

 

それを見ていた時に

ふと、神様はこんなふうに佇んでいるのだろうかって感じた。

あるいは 自分の見落としている大切な物や人、出来事。

こんなふうにすぐ後ろに なんでもないように

そっと存在してたのだろうか?

 

だとしたら

もっと目を凝らして感じたり

見るべきなのかもしれないな。

 

人とは

隣にいる人は

あるいは会ったことすらない人

もう覚えていない人

全ての人

それはどういう存在で

合わさって起こる反応と法則と構図と

それを壊すもの

あるいは再生させるものとは何か

そこで副産物、もしかしたら隠された本当の目的として生み出される

それはなんだと彼らは言っていたのか。

 

なんて緻密に、丁寧に描かれていたんだろう。

 

 

この物語のどこかで息をする事ができたらいいのに。