Bon Iverに会いました。

4年間、ずっと待っていました。

 

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なんかもっと実感として感じたかったというか
何か確かなものを…
目の前にいて
その姿から作られる世界を目の当たりにして


でももう
はっとなってしまって、
圧倒されすぎて
ずっと募ってたいろんなものが濁流みたいに
後ろから雪崩れ込んできて
その感覚にもじたばたしながら
でも何かをつかみたくて
でもその必要はないって言ってるみたいに
ただ包み込まれているような
すごく優しくて
その真っ只中に、途中から完全に
身を投げ出していたような気がする
だから今


それを確かに経験したのに


チケット見るとまだ
どうしてか
すごく涙が出てくる


なんでだろ


確かな事がどうしてほしかったのか
多分ずっとずっとずっと待ってたから
その歌を聴く瞬間の感覚を想像して想像して想像しすぎていたから
そこに照らし合わせて
手作りの、その時の実感をしまう宝箱も勝手につくってて
そこに詰め込もうとしていたからか


でも、
実際は全然違った
詰め込めるようなものじゃなかった
そっと取り巻いているあたたかさと、大きく包まれてる優しさと祈り。


それで
すごく楽しかったんだ。


圧倒されて、涙がどばって出た冒頭
途中からふと
ステージが音楽の、芸術の、何かそれとは全く別の、夢とか、希望とか、いやそれとも違う…でも遠すぎるわけでもないそうゆう朧げな光みたいに見え始めて


ただそこにいられる事が
すごく幸せで
心から楽しんでた


救いとか、確かなものとか、満たされたいとか
足掻いたりする必要は少しもなかった


ただ自分の今の姿のまま
楽しんでた。


だから
その瞬間が去ってしまって
自分はまた変わらない自分のままここに。
変わらないいつも通りの時間の流れがここに。
彼らに会う前の自分が今ここにいることが
寂しく思うのかもしれない。
本当にあの瞬間はあったのかなって。


でも、それこそが、
多分
…そういうのをずっと待っていたのかなと思う


不完全なまま
あらゆるものの傷を癒すのは魔法では無いということ
すべてのものは不確かなまま
何もかもかけたまま
ありのまま


その姿のまま


それでも幸せを感じることができて
感情は動きつづけるんだってこと。


Justin達の音楽の中で
彼らを見ている自分自身をもどこからか見ていた気がする


この寂しさはいつか受け入れられるのかな?


新しい、でも懐かしい
世界の宇宙のどこかに、
どこにでもある感覚。


また会えるのかな
そうだといいな。


Bon Iverかけがえない時間でした。
22のラスト、息をする必要は多分なかった。


ありがとうございました。

 

 

 

日記

描いたものを、その翌日とかにふと読み返すと

あれ、なんだこれ、誰が描いたんだ?

みたいな事が最近よくあります。

何かを感じたりする瞬間は多分日常生活の中ではあんまり変わらないんだけど

それに伴う感覚とか、部品、アウトプットするための言葉とかそのものの見方とか…

それらは日々途方もない勢いで変化している様な気がする。

 

そういう変化は前後に対するものへの

ショックだったり、羞恥心、罪悪感(多分これが一番大きいです)を伴う事もあります。

 

でも、

去年ある人から言われた

 

感じ続ける事が重要

 

この言葉をいつも考える。

 

今見えていることはほんの少しで

そこに別のものがあると気づくためには

 

探しつづけ、言葉にして失敗して

その繰り返ししかないから。

 

だから

そうしようと思う。

 

 

日記

 

この間、「アイヒマンを追え」という映画を観た。

すごく心に残る映画だった。でも、

自分の感じている事はほんの少しの部分で

手付かずの部分を探す事が必要だとも思ったから

何かこうやって書いたりするのは

しなくてもいいかなって思ってたんだけど、

数日ぼんやり考えてて日記としてやっぱり残しておくことにした。

 

確かにあの作品は、フリッツバウアー検事長が、「ユダヤ人問題の最終的解決」に関与したアイヒマンを追っていく

それも一つの流れとしてあった。

自分自身、それが観たいと思っていたから。

だけどフリッツバウアーという人の物語、戦後のある時代の責任と矛盾についての問いかけの物語

見た後に感じたのはそういう感覚だった。

 

連合国の元で民主化を進め、復興に向けて

人々が目まぐるしく日々を生きていた戦後西ドイツ

人々は自国の、自分たちがした事についてある程度の責任は果たしたと思っていたのか、

もう掘り返さないで欲しかったのか。

悪の主人公はヒトラーと彼が従えていた人たちで。

そんなふうに明確な、異質ともいえる存在が戦後の人々を苦しめ

ある意味での安心や自分自身を疑い、そして向き合う機会を少なくさせていたのかもしれない。

官僚の多くは元親衛隊員であったこと。

それだけじゃなく

ユダヤ人であるフリッツバウアーへの脅迫の手紙、そこにはユダヤ人である事を差別し虐げる言葉が書かれていた事実から、敷かれている新たなレールの上で、未だ変わらない意識が行き交っているのを目の当たりにする。

 

この映画で考えさせられたのは、本当の、正義に基づく(この言葉はすごく曖昧だから当てはまらないのかもしれません)

法とは、判断とは、思考とは何かということ。

 

アイヒマンを追い、彼が捕まる事によって社会の中に溶け込み隠れようとしている

元親衛隊員たちが その裁判がドイツ国内で行われた場合に自分たちの立場が危うくなる可能性があった。

多くの権力者達が、この捜査を阻止しようとしていた事実。

フリッツバウアーが同性愛者だという事を、脅迫の一つとして捜査が妨害されることもあった。

映画の脚色も一部含まれているけれど、この彼のセクシュアリティについてを物語の中心に置き

その人物像を描いていた事には明確なメッセージがあったと思う。

 

ナチス時代以前からあった、刑法175、同性愛禁止法。

そしてナチス時代それに反した人々は、凄まじいまでの仕打ちを受けた。

強制収容所で、あるいはその移送列車の中で、あるいは摘発された現場で、あるいはその日常で。

最も残酷な扱いを受けたのは、ユダヤ人で同性愛者だった人々だとも言われている。

 

そして戦後、

ナチスのもたらした罪を人々は理解し、復興へと舵を切っている。

しかしこれはもしかしたら、上部だけきれいに塗り固めているだけではないのか?

虐殺は、自分と誰かの間に違いと、優劣をつけはじめた事が生んだのに

刑法175は1994年までなくならなかった事

そしてこれを多くの人々は常識であると、当たり前のことだと思っていたこと。

該当する人を

嘲笑い、蔑み、罰していた事実。

戦時中の罪をひた隠し、日常生活にひっそりと溶け込み過去に葬ろうとしていた人々。

 

映画の中で「ナチと刑法175は違うんだ」そんな言葉があったと思う。

果たして、本当にそうだろうか。

 

 

アイヒマンの裁判を傍聴したハンナアーレントは、「悪の凡庸さ」を訴えた。

フリッツバウアーもまた、真実の正義とは何かを見極めようとしていた。

自分は真っ当だと思い込んでいる人々の一般論や常識と呼ばれるものの中から、

ある意識を抉り出した。

自らの思考を停止させるだけで、人は簡単に他人の権利を奪う事ができてしまうということを。

 

彼はどんな思いを持って生きていたのか、

未来と過去をどんなふうに感じていたのか

現在をどんな生き辛さをもって切り開いていったのか

 

アイヒマンの逮捕に彼が携わっていたという事が

公になったのは死後ずっと経ってから。

そうせざるを得なかった背景を考えると、言葉が出ない。

 

 

 

最後に。

カールが存在しないと知ってどれほどほっとしたか。

それで

そう思わざるを得なかった事実がどうしようも無く悲しい。

 

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信じられないことが起こってしまいました。

信じられないこと…

それもどこまでが確かな当てはまる言葉なのかわからない。

これはどういう事象なのか

 

中村先生の講演会、

僕は申し込んだけど仕事が急に入って

母だけが行った。

 

会えなかったな。

 

いや、そういうことじゃない

 

なんだろ

どうしてこういう事が起こって

ずっと起こり続けているのかな

 

考えても分からない

考えてわかる範囲を超えてる

なにもかも

 

 

nonsense

 

世界で人が目にするものは 

全部

自分、あるいは

誰かの人生の記憶でできていると聞いた

だから立ち止まって目を凝らせば

帰りたい場所

帰りたくない場所

その何処へだって行く事ができるんだと。

 

 

 

一人の人の身体

その向こう、一面にずっと広がってる記憶を

ふと意識する時がある

おじいちゃんが古いアルバムを

ほんの少しだけ見せてくれたとき、

それから

フランツが撮った写真を眺めていた夜、

はっとしたんだ

 

みんな語らない 

今後も語られることのない

無数の記憶を持っていて

すごく大切で時に驚くべきものなのに

それを抱えてひっそり生きて

そのまま去っていくんだと思った時、

実体としての身体がなくなった後もその広大な土地は

別の次元に残り続けて

それは見えない世界に張り巡らされてる

そう思った時

今この瞬間は

無数の記憶の土地に立ってるんだとすれば

なんだかとても、

どう言ったらいいか…

愕然とする

 

 

 

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去年描いた

昔どこかにいたパイロット達

彼らの記憶は、いまどこにあるのかな

 

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振り返り

 

懐かしいインスタグラムが出てきた。

最近はこのアカウントをほとんど使っていないのですが。

3年くらいかけて2000以上の投稿が残っていました。

遡っていくと

いろんな思い出が蘇ってきて懐かしいです。

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ずっと目指してたものを

あるきっかけでやめた2014年の終わり。

もうすごく昔のことに思えるけれど。

そのあとしばらくの間、自分の精神的な部分、

罪悪感とか安心感、不安感とか、いろんな部分と対峙するっていうか

向き合いつつ、家族に守ってもらっていた2015年の初め。

それ以外無いと思ってた夢を自分の意思で終わりにした後

空っぽの中で茫然としながら突然絵を描き始めた、2015年2月。

その時にインスタに記録としてアップし始めた。

(新しい仕事につくまでの4ヶ月ほどは1日10投稿くらいしています💦最初のフォロワーさんは母でした😳←僕の生存確認のためだったのですが)

 

大事な人達が守っていてくれた事、絵に出会えた事がいま自分がここにいる理由なんだな

 

 

懐かしい絵をいくつか拾ってきました。↓

 

 2015年

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(絵と関係ない投稿が始めの頃は多いです😳)

 

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2015.1.28(絵の練習を始めた日のスケッチです)

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2015.4.6

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(メンターみたいな存在だったウィレムデフォーを描いてばっかりの日々)

 

2015.4

初めて描いた漫画…

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2015.6.5

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2016年

2016.12

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2017年

2017.3.20

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2017.8.2

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2017.11.15

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2018年

フランツに出会った頃

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初めて作った同人誌

(ハートストーンという映画について)

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水彩画
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ゴッズオウンカントリー に出会えた頃
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2019年

海の思い出
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スケッチ
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絵と絵の間の時間

描くこと以外にもいろんな事があったな、

と思い出した。

描いているものが、その時自分に起こった事

出会ったもの、無くしたものに影響されているのがすごくよく分かる。

 

 

この頃は記録するのをさぼっていたけど

やっぱり残して置くのは大切なのかな

 

もう少し頑張ろう

 

 

 

 

 

 

 

区切り

 

一旦立ち止まる為の覚書に。

 

最近、

というより今までずっと

分かってたはずなのに本当の意味で

それを切り出して明確にし、磨いてこなかったものがあった。

ぼんやりとよくわからない希望的観測みたいなのばっかりして

ふとした時に、

でも一体今どこにいて、それはどの辺りから

どのくらい進んだんだ?って疑問に思う事多くなった。

これに対しての答えはすでにずっと前に出ていたのに

見ないようにしてたっていうか、

見ていたのかもしれないけど、

言い訳材料が多すぎて

これが自分の精一杯だから仕方ないって勝手に結論づけてた。

だけどたぶん違ってた。

いや絶対違う。

自分はよそ見ばっかりしてる。

すぐ楽な方に逃げたり

その場しのぎなことばかり。

 

決定的に集中力が足りなくて

そう思いたくないけど

本気とは言えない取り組みだった。

 

だから下手なんだ。

初めて描くことに取り組んで

もう4年も経つのに

目も当てられないくらい下手くそで

絵のことについて何一つ分かっていないのは。

 

時々投げ出したくなる。

自分の描いたものを見てるのが辛くなる。

でもこういうの全部

中途半端な取り組みだから苦しく思えるんだ。

 

タチが悪いのは

それでもだらだらと

描き続けてしまう事

 

描きたい物語

本棚のどこかに積まれたまま埃をかぶって

誰にも手に取られない誰かの物語

そういうものを

自分が思うように絵にしたい気持ちからは

ずっと逃れられないし

楽になりたくて描くことを投げ出したら

どうにもならなくなるくらい悲しいんだとおもう。

 

だとしたら

もう今この瞬間から

変わらなくちゃいけない。

 

取り組み方、

インプット

アウトプットの方法

学ぶべきことに対しての向き合い方、

自分の空っぽさと、技術の未熟さ、下手くそだってことを

真正面から受け止めて、それはその場しのぎで隠すべきじゃないってこと。

集中力

時間

 

今までより…

というか

今までなんかと比べちゃダメだ。

 

この瞬間に決めたこと、

忘れない為の

覚書き。