ベルリン、あるいはどこか

ブルーノガンツさん

さようなら

あなたとあなたの映画が好きでした。

ゆっくり休まれてください。

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第1章

子供は子供だった頃

腕をブラブラさせ

小川は川になれ 川は河になれ

水たまりは海になれ と思った

子供は子供だった頃

自分が子供とは知らず

すべてに魂があり 魂はひとつと思った

子供は子供だった頃

なにも考えず 癖もなにもなく

あぐらをかいたり とびはねたり

小さな頭に 大きなつむじ

カメラを向けても 知らぬ顔

 

第2章

子供は子供だった頃

いつも不思議だった

なぜ 僕は僕で 君でない?

なぜ 僕はここにいて そこにいない?

時の始まりは いつ?

宇宙の果ては どこ?

この世で生きるのは ただの夢

見るもの 聞くもの 嗅ぐものは

この世の前の世の幻

悪があるって ほんと?

いったい どんなだった

僕が僕になる前は?

僕が僕でなくなった後

いったい僕は 何になる?

 

第3章

子供は子供だった頃

ほうれん草や豆やライスが苦手だった

カリフラワーも

今は平気で食べる

どんどん食べる

子供は子供だった頃

一度は他所の家で目覚めた

今は いつもだ

昔は沢山の人が美しく見えた

今はそう見えたら僥倖

昔は はっきりと

天国が見えた

今はぼんやりと予感するだけ

昔は虚無におびえる

子供は子供だった頃

遊びに熱中した

あの熱中はは今は

自分の仕事に 追われる時だけ

 

第4章

子供は子供だった頃

リンゴとパンを 食べてればよかった

今だってそうだ

子供は子供だった頃

ブルーベリーが いっぱい降ってきた

今だってそう

胡桃を食べて 舌を荒らした

それも今も同じ

山に登る度に もっと高い山に憧れ

町に行く度に もっと大きな町に憧れた

今だってそうだ

木に登り サクランボを摘んで

得意になったのも 今も同じ

やたらと人見知りをした

今も人見知り

初雪が待ち遠しかった

今だってそう

子供は子供だった頃

樹をめがけて 槍投げをした

ささった槍は 今も揺れてる

 

 

ベルリン天使の詩、ぺーター・ハントケ

ライラック

新しい絵具を買いました。

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緑色が好きで

結局似た色ばっかり買ってしまうんだけど…

一目惚れした色が一色あって。

 

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ライラック、というものです。

多分ライラックの花の色って事だよね…?

 

僕はライラックの花を見たことがなくて、

なんとも言えないけど

すごく優しい色だと思った。

紫はクールなイメージがあったけど

これは暖かくて柔らかく感じる。

 

普段紫を使うこと、ほとんどないから

どう活用しようかちょっと迷ってるけど

使わなくても好きな色が

パレットに一色あるだけで気分が違う気がする。

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(上段左端の色です。)

 

乾くのが待ち遠しいな…

脱走兵

1942年フリードリヒの手紙

 

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おわり

 

このお話は、新年に読んだ

「Kriegsbriefe Gefallener Studenten 1939-1945」(戦没学生の手紙1939年-1945年)

という本に載っている

フリードリヒ・アンドレアス・フォン・コッホという青年が書いた手紙を絵にしたものです。

(彼の文を引用し、

書ききれなかった部分は一部要約しています)

 

 

フリードリヒはケーニヒスベルク1924年4月に生まれ、文科学生でしたが

第二次世界大戦中はドイツ軍に入隊しました。

この手紙は1942年10月3日に、オランダのある監獄で衛兵勤務中に書かれたものだそうです。

 

手紙には宛名がありませんでした。

文脈から、詩人宛であることを想像しましたが

それが誰なのかは分かりません。

詩を嗜んでいた身近な知人宛かもしれませんが

僕は勝手に、彼は文科学生だから

自分の心の支えになっていた

ゲーテやシラー…

届くはずのない大切な詩人へ思いを打ち明けたんじゃないかって想像してた。

 

囚人兵へ贈った言葉は

どんな詩だったのでしょうか。

 

 

フリードリヒはこの手紙を書いた一年後、

東部戦線にてソ連で死亡しています。

脱走兵の若くして処刑される運命に心を痛めて

せめてものはなむけをしたいと

一片の詩を贈った青年は、

自分自身もたったの19歳で亡くなりました。

 

 

 

この手紙には

戦争の薄暗い残酷さと矛盾に直面し

戸惑い、方向を見失なった

一人間の苦しい眼差しと

葛藤、疑問がありました。

そして 細やかな優しさと同情が。

 

それはあんまりにも鮮明でした。

 

脱走兵の処刑を目撃した後も

彼の軍生活は続き、

恐らくそれ以上の日々に直面し

死んでいったのだと思います。

 

 

なんでこれを描きたいと思ったのか

うまく言えないけど

宛名のない手紙に残った

ある人の心の沈痛さを

覚えておきたかった。

 

 

 

 

 

 

日々

もうすぐ2018年が終わります。

 

決定的な出会いと

決定的なお別れのあった年でした。

それから

いろんな疑問と新しい興味で

あれこれ手をつけた。

 

全部中途半端だけど、そのどれもがきっと

知るほどに分からないことばかりだから

どこまで行っても中途半端で

 

だからどこまででも行くことができて

ずっと探すんだろうなって感じる。

 

来年は、

アウトプットの一年にしたい。

できるだけ。

 

2018年沢山影響を与えてくれた全てのことを少しずつ織り込めたらいいな、

 

出会ってくれた、

そして去っていった全てが

愛しくてありがたかった。

 

 

 

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2019年が始まりました。

 

 

 

 

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BON VOYAGE! 続き

 

(前回の記事の続き)

 

第二次世界大戦後、ドイツに駐屯していた

あるアメリカ人兵士の個人アルバム。

1冊目は

駐屯中の1945年から46年までの写真が綴じてあって、

2冊目には当時の通貨と、新聞などのスクラップが貼ってあった。

 

 

彼は最後に、

またねドイツ!

良い旅を。

 

という言葉で締めくくっている。

2冊のアルバムの

彼の記録は1946年12月で終わっているから、

それ以降の彼がどんなふうにその後の人生を過ごして、

そしてあの時に辿った道をどんなふうに胸に抱いているのかを知る術はなかった。

 

 

 

 

と思ってた。

 

写真を綴じ直してたとき、

どっからともなく

一枚の紙が滑り落ちてきた。

四つに折りたたまれた古い新聞。

 

開いてみると

スヌーピー作者の「ピーナッツ」のような

漫画の見開きページだった。

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彼の2冊目のスクラップアルバムには

大量の新聞に載ってる漫画の切り抜きが貼ってあったから

 

まあ、この一枚を残したのは

分からなくもないっていうか

漫画好きだったんだなあってしみじみ思ってた

 

それで、

内側に織り込まれてた反対のページをひっくり返した時

息を呑んだ。

それから鳥肌がたった。

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その一面記事は

ダッハウ収容所の特集だったから。

 

この新聞の発行日は

1976年 2月5日、

彼が帰国してから約30年後のものだった。

おそらく50歳くらいのとき。

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1945年、彼の駐屯していた近くでは

ダッハウ収容所が見つかっていて

アメリカ軍に解放されている。

だからアルバムに綴じられた写真のうち、

30枚ほどはこの場所を撮ったものだった。

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ただ、添えられた言葉は

 

「最近見つかった収容所

囚人を収監している場所

拷問部屋

銃殺する場所」

 

といったように、

淡々とした説明書きのみで

彼がそれをどのように感じていたのかは

分からなかった。

 

 

だけどたぶん、

この1976年の一枚の新聞が

捨てられずにここにあることが答えだと思う。

 

アルバムのどこにこの一枚がそっと折り込まれていたんだろう?

帰国後の唯一の足跡。

 

50歳を過ぎた彼が

それまでの時間をどう生きてきたのかは

僕には分からない

 

きっとある日

新聞でこの記事を見つけて

そして思い出し

静かにそこを切り取って

40年間ずっと持っていたんだと思う。

 

この記事には、

ダッハウ収容所で起きた暗い過去について。

そして当時収容されていた人の事実。

 

しかしダッハウという場所は

暗い歴史の代名詞ではなく

本来、文化や自然が豊かな場所で

みんながそれを取り戻そうとしていること。

また、収容所を資料館として残し、起こった事実を忘れないようにしていること。

この土地へ移住した人々の言葉が綴られていた。

 

1946年、

彼がアルバムの最後に残した

 

「Auf Wiedersehen

Deutschland

Bon Voyage!」 

ドイツの未来を思った言葉。

 

1976年2月、

彼はその回答の一つをこの国から受け取ったんだと思う。

 

おそらくもういない、

誰かの心の中のさざ波が

ゆっくりと広がっていくのを感じる

 

すべては不確かな想像かもしれない。

それでも 

 

それを見つけられた

 

 

 

BON VOYAGE!

第二次世界大戦 終戦後、

ドイツに駐屯していたあるアメリカ軍兵士が作った1945年-1946年のアルバムです。

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この方は多分ものすごく几帳面だったのだと思います。

250枚の写真と丁寧なキャプション、軍事新聞や漫画、ライヒスマルク、フランなどの通貨まできっちりと綴じてありました。

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(この新聞、なんなんだろう…

船の中で配られる読み物みたいな感じ?

誰か教えてください…)

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彼がどこの部隊に属していて、

その部隊が戦時中

どういう任務をこなしていたか、

知れば知るほど勝者も敗者無いような、

でもそういう訳でもないような

複雑な気持ち。。

 

写真に写った人たちの表情はいろんな事を語っているようで一つとして今本当に理解できることはないのかも知れないとも思う。

(友達と揃ってゴミ箱に入ってポーズを撮ってる楽しそうな写真も沢山ありましたが…) .

 

 

まだ爆撃でボロボロの閑散としたドイツの街。

1945年4月に解放されて、生々しさの残る

ダッハウ収容所。

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この時これらを撮った彼は

何を感じて、そして

この国の未来をどんなふうに思っていたのでしょうか。

 

 

1946年12月

ドイツを去るための船から撮った写真を貼った

最後の見開きぺージの締めくくり、

「Auf Wiedersehen

Deutschland

Bon Voyage!」 

またね、ドイツ

良い旅を!

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Bon Voyage 、この言葉は

この先の未来を生きていく自分とドイツに向けて言ったのかな、

 

そして

最後の最後には

自分の運命についての言葉が書き残してありました。

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はっとした。

紛れもなく、戦争という時代をこえた人の言葉でした。

当たり前だけどかけがえのない事について。 

 

実名が書かれていたので、ぼかしましたが

彼のメッセージ。

 

「海を越えると

 陸地はどんどん遠ざかる。

旅が僕を連れて行ってしまう。

 

だけど自分には、

故郷があると知っている。

大切な人がいると知っている。

 

これが僕の運命なんだ。」

 

 

 

 

戦後ドイツのこと、

復興の過程や

東西に分断された後の人々の暮らし…

僕はほとんど知りません。

だけど

帰国の日に彼が撮った写真、

船が遠ざかり

小さくなって消えていくドイツの土地を見ながら

この先、この国はどんな道を歩んだんだろう…

とぼんやり思っていました。

何でこれまで関心を持ってこなかったのかな。

今さらかもしれないけど、

今日から少しずつ辿ってみたいと思います。

 

まだ見きれていない写真がたくさんあるので続きはぼちぼち書きます☺️

 

※ Auf Wiedersehenの彼が書いてる綴りちょっと違うけど、さよならって言ってるので合っているのでしょうか…?