フランツを探して2

写真の入ってた箱には

いくつかメモがあっても

ほとんどが塗りつぶされていて

唯一は

 

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これだった。

多分撮った人の名前だと想像したけど

名前らしき文字の前に書かれた言葉がわからない。

 

 

今はすごくいい時代だと思うのは

世界中の人にスマホ一つで話しかけられるんだ

 

早速インスタに写真をアップして

なにが書いてあるか教えて下さい。

って質問した。

 

長い間反応が無くて 

でもその夜に、フォローして下さっている

ドイツ人のInaという16歳の子が

「Kriegsbilder von Franzl」

だと教えてくださった。つまり、

「war images of Franzl」

 

なるほど、彼の名前が分かった!!

 

その日から僕は彼を従軍カメラマンじゃなくて

フランツと勝手に呼んでる。

 

 

 

 

 

 

でも分かったのはまだ名前だけ。

 

問題は彼のメモ…

何日か自分で解読しようと奮闘したけど

MinskとかSmolensk とか

知っている単語以外は無理だった…

 

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60枚くらいの写真の裏にはこんなふうに

一行くらいの走り書きと日付が書いてあって

ドイツ語を読めなくてもアルファベットのつながりなら分かるかもしれない、

なんて思ったけど

 

無理でした

 

そしてまた

インスタグラムに頼る…

 

ドイツに住んでる日本人の方は

「達筆で読み取れないし、ドイツ語に見えない」と。

別のドイツ人の子は

「読めません。ドイツ人の私が読めないのだから、多分あなたはこれを読める人を見つけられないと思うよ。」とはっきり。

 

万事休す…、と思いきやまたもInaさんからメッセージが。

 

彼女は半分は読み取りが難しいと言っていたけど、いくつかは完全に読み取って教えてくれた。

 

教えてもらった情報によると、

書いてあるのはベラルーシウクライナの地名や川の名前、そして友人や部隊長、中尉たちの名前がほとんどだということ。

 

その日はずっと教えてくれた子と

メッセージのやり取りをしていた。

彼女は歴史、特に第二次世界大戦に興味があって調べているんだと言っていた。

 

僕は16歳のとき、何していたっけ

うーん…

 

 

これは後から知ったんだけど、

実はフランツの文字はSütterlinschrift

というドイツの古い筆記体が使われていることもあって

ドイツ語圏に住む人でも

多くが読めないと言っていたんだと分かった。しかも、彼はその筆記体

使ったり使わなかったりしているから

余計にややこしい…

Inaさんはそれを指摘することもなく

普通に読んでいたから

本当に歴史が好きで、勉強しているんだな…

とすごく見習いたい気持ちになった。

 

 

 

ところで、

 

まだ半分以上分からないメモ書きが残っています。

 

つぎは知恵袋に質問を投稿、、

もう本当に感謝しかないのですが

一生懸命二人の方が

分かる限り教えてくださった

 

ドイツ語の知識と写真を照らし合わせて

ウィキペディアや歴史書、地図を参考に

当てはめたと言われていました。

 

見知らぬ人間に

こんなにも時間を割いて下さった事、

すごく感謝の気持ちで一杯で

直接会ってお礼が言いたかった。

 

 

そこであることが分かったんだけど

ハインツ・グデーリアンが一枚の写真に写っていたんだ…!

 

うそ…!って目を疑ったというか

鳥肌がたった。

グデーリアンはドイツのロシア侵攻、バルバロッサ作戦を指揮した人で

歴史の本とかにすごく良く登場して

僕はなんか…無意識に彼は本や映画の中だけの人だと感じてる部分があったから

本当に驚いた。

 

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(1941年7月13日

グデーリアンの部隊

ロシア方面の川で)

 

フランツはグデーリアンに会っていたんだな。

 

 

そのあと、ある人から

「ドイツ圏の知恵袋か、gutefrage.netというドイツの質問サイトで聞いてみたら?」

と言われさっそく辞書を片手に

gutefrage.netにアクセスして(ドイツの知恵袋は質問の仕方が結局わからず…)

拙い、

というか通じているのかも不確かなドイツ語で

質問してみた。

 

そしたら

ものすごい勢いで反応が!

(日本の知恵袋は答えを書き込む、分かる人が回答する、みたいな感じだったけどgutefrage.netは「うーん」とか「分からない」「字が下手」みたいなすごく楽しいリアクションが解答欄に溢れてた)

 

質問後、30分くらいは

めちゃくちゃはっきり

「読めない」

「ドイツ語ではないと思います」

「これを書いた人の字が慌てすぎてて分からない」

そのあと

「Sütterlinschriftで書いてあるから難しいよ」

との回答が。

調べてみると、たしかにフランツの書いている文字のいくつかにそれらしきものがあって

しかもそれを使わずに

普通に書いているのもあって

もう僕はこんがらがって

頭がぐちゃぐちゃだった

 

結局、gutefrage.netに20個くらい質問を投稿して

一部は同じ文章での投稿だったり、

写真の添付が多すぎたりで

サイトの運営側に削除されて

最後まで残ったのは4個…笑

 

それでもドイツの方達の反応は

ほんと1分おきくらいにあって

 

ドイツの言語や、独ソ戦、地理や歴史に詳しい何人かの方達から

フランツが撮った写真は

ベラルーシウクライナポーランドがほとんどで

彼はおそらくそれらの地名を耳で聞いた通り、その土地の言葉のまま記載していたから

ラトビア語、ポーランド語、たまにドイツ語、などなど…今はもう使われていない地名も多く

すごく難しかったと言っていた。

それと

ベラルーシのMahilyowをロシアのMichailowと間違って書いてる慌てぶりだとか…

 

また東部戦線に詳しいある方が、

フランツの写真に興味を持ってくださり

直接メッセージでやりとりすることが出来た。

僕がドイツ語を読むのに苦心していると

気を使って全て英語で

フランツの辿った大まかな道筋、

所属していた部隊名、

歴史的背景などを細かく調べて下さった。

 

 

教えていただいたことを

写真に書き込んで

地図に貼り付けて

足取りのラインを引き

図鑑、ウィキペディア

史書と照らし合わせていくのは

 

なんか本当に不思議な感覚だった

写真の鮮明な風景と

史実の文字の羅列が絡まりあってできた

現実と想像、

一つの映像の中を歩いているようだった。

 

 

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