Europa Europa(1990年公開作品)

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違いがなければ

人は優しい

違いに気づかない時も

人は優しい

 

それはなんて愚かなんだろう

 

違いは

誰かが作り上げた定義で

その多くは曖昧だと思う

その境界を確実に

誰1人として言い表せないから

誰1人それを掘り下げたりはしない

漠然とした

外からつけられたイメージに飲み込まれて

そこで溺れて

最後は脳が酸欠になって

考えるのをやめる

その時に馬鹿らしい境界線は

矛盾でできたそれは本当になる

その時に人は時々残酷になる

まるで中身のない操り人形みたいに

 

そのことをサリーは

あの中でたった1人で体現してた

彼が苦しんだり

時々笑う事を思い出したりしながら

 

彼は

身を守る為ではあったけど

みんながあると思って近づけなかった

偽物のラインに

転んだり

走り疲れたり

そうしながらも近づいて

それをすり抜けて

そんなラインは無かったんだと言った

 

そして

その双方にいた人達に触れた

その双方が彼を愛した

それはラインが偽物だったという証明

 

だけど定義は時に

視覚化できるような明確な違いを示す

誰かが勝手に決めた論じれない

コントロールできないそれを

みんなはお守りみたいに大事にしてる

何が怖いんだろう

 

人間の

あの漠然とした

自分と違うものを恐れる心は不思議だと思う

それは動物的な本能なのかもしれない

同種を存続させようとするような

だけど人間界のそれは

ほとんど馬鹿みたいに見当違いだと思う

 

だから時に

視覚化できる定義に

サリーが外れた瞬間を見た人は

糾弾したり

排除しようとする

さっきまで愛してたってそれができる

そして時々勘違いを積み重ねて

自分自身をも痛めつける

滑稽で悲しい踊りを披露する

 

その中に

彼が定義の外の人だと気付いても

愛してくれる人がいる

その多くは

自らも境界線に苦しむ人

サリーを阻むものだけじゃない

境界線は無数にある

この世界の

小さな社会のどこにでも

本当は存在しないのに。

そして

悲しみを知ってる人

 

だけどそれがなくちゃ

人は理解できないのだろうか

 

これには終わりがないんだな

全部が矛盾でできてるから

何処へだって行き着くし

何処へも行き着かない

 

ただの

一つの存在として

あるがまま存在する事はできないのかな

コントロールできないそれを

誰にも痛めつけられることもなく

 

だけど

この考えにもいろんな続きが浮かぶから

やっぱりだめかもしれない

 

 

印象的だったのは

初めとラストで

虐げられる、差別され

憎まれる存在が逆転してること

その力と差別の構図はどこにでもあって 

 

それは恐ろしくて

いつも何かがおかしいんだ

 

だけど

それをどうすることもできないし

なんて言葉にしたらいいかも分からない

 

.

.

Europa Europa を観ました。

この作品を知りませんでしたが、

ある親切な方に観せていただきました。

多分自分では辿り着かなかった映画だと思う。

 

ナチスドイツの時代、ユダヤ人の少年が生きるために身分や宗教、名前、全てを偽って二つの国を行き交うお話です。

 

これは実話で、

一番最後エンドクレジット直前

ご本人が道に1人佇み

家族と一緒に過ごせる幸せを

歌う場面が忘れられません。

 

言い尽くせない深い余韻と

それにも増して

この作品がこの先

沢山の人に触れられることもなく

無数のフィルムの一番底

そのどこかで

小さな映写機がカタカタ回っていて

そこの最後に

あの場面にサリーさんがいる

それを考えるとあまりにも悲しくて

思わず涙が出そうになります。

埋もれてはいけない、

そういう作品だと思った。

どうか再販されますように。

お祈りする事しかできないけれど