ここに写る、
ジェームズ・キャラハン衛生兵が蘇生しようとした兵士は助かりませんでした。
その後、彼自身はベトナム戦争から帰還しています。
2008年にジェームズは交通事故により亡くなっていますが、その数ヶ月前、もう一度ベトナムを訪れています。
ホーチミンの戦争博物館に展示されている、自身の写る写真の横に佇む彼は穏やかでした。
それは
肩の荷を降ろすようなものだったそうです。
この写真を撮影したのは、アンリ・ユエという写真家です。
すごく尊敬する方。
ベトナムで生まれたフランスの戦場カメラマン
いつも優しく笑っていて
自分の事はあまり話さなかったそうですが、
ベトナムのことは愛おしそうに語ったと聞いた。
どんな思いで愛する国で行われた戦争を撮り続けたんだろう。
彼の写真には、ある眼差しがいつもあって
それが心を揺さぶる
慈しみ、愛、悲しみ
また、彼はいつも撮影後すぐに
まだ泥のついた服のままで
タイプライターに向かい
入念な写真説明を書いた。
取材した兵士の名前や故郷の住所を彼ほど克明にメモしたカメラマンはいなかったそうです。
そういう真摯さが、ラリー・バローズたちからもきっと尊敬されたんだろうな。
ベトナムを愛していた写真家は、
ラオスの取材中にヘリコプターを撃墜されこの世を去りました。
この写真もアンリが撮ったものです。
若い衛生兵コールは自身も怪我を負い
片方の目しか見えない状態で
さらに激戦地の中にいました。
しかし彼はそれをものともせず
助けを求める仲間たちの元で必死に治療や看護に徹していたそうです。
彼は残り二週間で戦地を離れる予定でした。
家族からも帰ってきてほしいと強く言われていたそうです。
しかし仲間をおいては帰れないと、任期の延長を申し出ています。
その後、戦闘中に深刻な怪我を負っています。
写真の中でコールにもたれかかり、開けてもらった缶詰を食べているのはハリソン軍曹です。
これはホースト・ファースの撮ったものです。
銃弾に倒れ、死にゆく親友の心音を探し続ける海兵隊員だそうです。
これらの写真を姉と見ている時、
「なんで写真なんて撮れるんだろ?それより手助けとか…よく撮っていられるよね」
と言っていた。
それについてはすごくたくさん考える。
僕にもはっきりした答えはでないし、
きっとそれは写真家たち本人が一番考えていることだと思う。
被写体についての前後の物語、シャッターをきったアンリ・ユエのことをたくさん話した。そしたら姉が最後に、
「これが撮られなかったら、今こうやって遠い国の事を考えたりもしなかったね。知り合うこともないはずの1人のひとにこんなにも沢山のストーリーがあるって当たり前の事にも。それは大事な事だね。」
そう言った。
一人の人を意識することは無数の名前のないひとに本当は名前があるんだと気づくきっかけなのかな。
写真家の人たちは
人間が無力で、忘れっぽくて、自分中心的で、感傷的で、時に力がある事を知っている
だから
彼らは僕達を信じて、
あの瞬間ではなくても
あの瞬間は非力な
無神経だと言われる人になってでも
何年、何十年、何百年後の人を信じて
ときに気が狂いそうになりながらでも
シャッターを切っているのかもしれないと思った
それが彼らの戦いで
それは武器や兵器よりずっと力を持ち続ける
これからも考えていきたいな