(本編に触れている部分があるのでこれから観る予定の方は、読まない方がいいかもしれません💦)
列車は進んで、テオの顔に弱い光があたる
彼はほんの少し微笑んだ。
映画館の帰り道
みんなのことを考えてた
みんなのこれからのこと
密告、疑い、抑圧、小さな教室のなかは、当時の状況をそのまま縮図にしたような息苦しさがあった。
でも
彼らが乗ったのは本当に希望の列車だったのか。秤にかければそうだったのかもしれないが、待ち受けているものはいくつもあったはず。
(プロパガンダ、西ドイツの官僚の多くは元ナチスだったのも確か。)
ただ、その列車にすら乗れなかった
エドガーやエリックもいた
どうしてあんなにも世界は閉じていたんだろう?
あの後さらに閉じて、ベルリンの壁となり、それは1989年までそこに立ちはだかっていた。
戦後という名の列車、
それが本当の自由に、本当の希望に、それが希望だと気づかないような当たり前の日常に向かって走り出すまで まだ途方もなく長いんだって考えてしまう。
勝者は敗者の持ち物を分ける、そんなふうにあらゆるものがいつも分断されてきた。強い力で。ある思想や主義を断ち切るためには必要なのかもしれない。
ただ、そこには過剰な統制や抑圧がありそれを受けなければいけない人々がいて、それは地図上のただの境界線ではなく、現実世界では切りつけられて塞がらない痛みが横たわっているんだと改めて感じる。
歴史のそっけない年表、そのどこかにクルトやテオ、レナ、パウル、エリック達がいた。そしてそこには 「静かな教室」があって、その後も彼らは生きたんだと、そう思った。
あの場所で、みんなが強い流れの中で考え、守ろうとしたものや信じようとしたもの、その結果失い、また得たものを忘れたくない。そして多数決だった意思決定が、最後には一人一人の決意で列車に乗り込んで行ったことも。
後の世界からしか、ある事実の良し悪しや解決策は分からない。でも、もしかしたら今でもそれは本当は分からないのかもしれない。
長い列車のどこかで何かを望み、それを目指して乗り込み、すれ違い、偶然隣りあい、そしてどこかで下車していった人たち
今自分はそのどの辺りに乗っているんだろう。
今この場所はどこで
そこでは何が起きていて
自分はどう感じ、どう考え、何をするのか
映画を観て、もう一度見つめてみたいと思えた。
きっとこの先も、ふと目を凝らし
昔この列車のどこかに乗っていた、みんなの事を探すんだろうな。